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第22話:自己信頼と人生の目的

前回のお話
【ふたり】が、最も関係が強くなり
同時に対立も起こりやすい、
ということに触れました。

だからこそ、人は
【恋愛】に憧れ、はまり込み、傷つく。

【ふたり】の代表的関係である恋愛と結婚は
それだけあなたに強いインパクトを与えます。

それは、その経験から
あなたがたくさんのことを学べる、
ということでもあります。

2016年にわたしが書いた拙書
まさに、パートナーとの葛藤からの
学びを書き記したものでした。

簡単に言えば、パートナーと
ハネムーン期を過ごした後、
まさかの「暴言受けまくり期」に突入。

その中で、わたしが行き着いたのは

全ての根源は、自分の安全に確信が持てない恐怖、自信のなさにある

ということ。
それは、彼のことであると同時に
自分自身のことでもありました。

精神的に追い込まれたことで、わたしは
自分自身をより真剣に
見つめることになったわけです。


自分に向き合わずして【自信】は生まれない

何かを信じるためには、まず
その信じる対象に
意識を向ける必要があります。

「信じる」という
強い感情移入を伴った行為を取るからには
まず、その信じる対象に対して
強い関心を持つはずですね。

例えば恋愛なら、相手のことを知りたい。

「何を考えてる?」
「何をしてる?」
「それはなぜ?」

食べ物の好き嫌いから
家族構成、趣味、仕事、体調ほか、
いろいろと観察したり聞いたりして
情報を得ようとします。

その動機となるのは
「ピンと来て」と言った
抽象的な感覚かもしれませんが、
それを育てるのが「関心」です。

「ピンと来た」当初の感覚が、
集められた情報に裏付けされればされるほど
「やっぱり、わたしはこの人を」
と、信じるようになるわけです。

ところが、人と言うのは
この種の関心を
意外と自分自身には向けていないもの。

4年前に、拙書の中で
「加害者」も「被害者」も

相手に影響を与えることが、自分を安心させる手段

になっている、と書いたのですが、
これは言い換えれば
関心が常に「相手」に向いている、
ということでもあります。

まず「相手」という物差しを
強い関心を持って確認し、
それに照らし合わせることで
「自分」の位置を確認しようとする。

これは、自分自身よりもまず
相手に関心が行っている、
相手ファースト、つまり

「自分自身と向き合っていない」

とも言えると思います。

わたしの経験を通して言えば、
これをやっている限りは
「自信」「自分を信じる」ということが
できないと感じています。


自分を信じよう、でもどうやって?

だったらまず、他人がどうであれ
自分を信じること!
短絡に言えばそういうことなのですが、
実際は多くの人が

「でも、どうすれば自分を信じられるの?」

という壁にぶつかります。

「他人がどうであれ」ということは
まず「自分基準」を確定する、
ということになってくるわけですが、
じゃその「自分基準」って何よ?

それを決めるのは「自分次第」
とか言われると、
それが出来てたら最初から苦労しない、
出来ないから情報探してるんですけど?

こういう「そもそも論」に
突き当たるんじゃないか、と。

考えてみれば、わたしは長年
このイタチごっことも呼べる問いを
ずっと抱えてきたと思います。

それが、パートナーとのビックリ体験で
ひとつ先に進ませてもらえました。

すなわち、人生において
困難、苦労、災難と思われる体験に
鍵がある
、ということです。


「しぶとく残るもの」は何?

わたしの場合で言えば、
パートナーからサイコパス扱いを受けた際
湧き出て来たのが

「悪いのはいつもワタシなの⁉」
「ふざけるな!」

という気持ちでした。
さらに、そこから

「事実をとことん調べてやる」
「無実の罪は絶対に被らない」

といったモチベーション。
言ってみれば

自分の尊厳は、自分で守る

という【衝動】だったのです。
実は、このパートナーとの確執から
遡ること、約20年。

当時のわたしは、これまた恋愛絡みで
「他人ファースト」絶賛実践の結果、
かなりの自信喪失状態にありました。

美味しいとかきれいとか、
健常な時なら「普通に」できた
「主観的な価値の判断」が
まったくできなくなっていたのです。

何かを食べる。
それが甘い・辛いとか硬い・柔らかいとかは
一応分かります。

でも、それが(自分にとって)
美味しいのかどうか、分からない。

美味しいとも、美味しくないとも
判断ができない。

それを判断するには、結局
「わたしは」それが好きかどうかと
「自分に聞いて、それを信じる」能力、
つまり「自信」が必要です。

しかし、当時のわたしは
そのレベルの「自信」まで
徹底的に無くしていました。

そこから、環境を変えたりして
まずは「自分の感性のリハビリ」をし
徐々に復活したのですが、その20年後に
サイコ騒動に遭遇したというわけです。

「悪いのは、いつも私ですか?」
では、現パートナーとの出来事を
テーマに書いてはいます。

しかし、わたしには
そのテーマに取り組むための下地が
すでに20年余年前から作られてきた、
ということでもあります。

他人によって、自分の在り方を
否定されることって、何なの?
そんな風にして生きて行きたいの?

そういうことを考えてきた、というより
考えざるを得ない状況に
なぜか繰り返しはまり込んで来た。

その流れあってこそ、

他人に振り回されてばかりの人生を変えたいのであれば、自分の意思で、現状を正しく知る努力から

という発想が生まれてきました。

この、2度に渡る愛憎極まったドラマで
どちらの場合も最終的に湧き上がり
わたしを復活させてくれた【力】を、
わたしは「生命力」と呼んでいます。

あなたの人生にも、きっと
「いろいろ」あったと思います。
今もあるかもしれません。

そんな中、しぶとく、しぶとく
蘇ってくる何かは、ないでしょうか。
そこに、あなたの「生命力」の
ヒントがあるように思います。


手段と目的

さて、この記事のタイトルは
「自己信頼と人生の目的」です。

ここまで「自分を信じる」ということについて
書いてきましたが、
じゃあどうして自分を信じることが
大切なのでしょうか?

自分の中にある「生命力」を信じ
生きていくのならば、それは
結局どこへ向かうのでしょうか。

その答えが
「人生の目的」なのではないかと考えます。

簡単に言えば、ミッショニング的には
「人生の目的は【学び】」
ということになります。

詳しくはこちらから:

ちなみに、ここでは
「何が真実か」ということは
重要視していません。

しかし、あなたが
どんな考え方、視点を持つことで
生き易くなるか?ということは
とても重要だと思います。

わたしにとって、

・手段とは、目的のためにある
・ひとには生命力があり、方向性を持つ
・その方向性は「進化」である

という考え方は非常にしっくり来て
人生と日々の進む方向を
明確にしてくれます。

そのおかげで、心身共に
よい影響を受けていると実感しています。
あなたは、どうでしょうか?

その答えを出すのは、
なかなか難しいかもしれません。
先に書いた

「自分に聞いて、それを信じる」能力、
つまり「自信」

を育てなければ、そもそも
「自分にとっての正解」は
そう簡単に出せるものではないから。

その一つの手がかりとして、
ご自分の人生経験、それも
苦しかったことや悲しかったこと、痛みが
あるのではないかと思います。


第23話:出会いと関係性①親・先生


追伸:

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