[漫画&ブログ] オッサンの気づき 第38話 ~いないいないばあに気づいた!~
私はこの漫画のように、日々にちょっとしたサプライズを組み込む習慣があります。私が思い出した「いないいないばあ」も、一瞬顔を隠してそれからばあっとポジティブな表情を見せるという、一種のサプライズ行動ですよね。サプライズって生き物にとってシンプルで根源的な喜びだと思うんです。まだシンプルで野生動物に近い赤ちゃんが喜ぶのがその証拠ですし、英語でもPeek-a-booと言う同じ遊びがあったり、私の友人(スウェーデン人です)も「僕の国では"Tittut"と言うのがあるよ」と言っていました。色々な国でいないいないばあ的な遊びがあって、それは生き物として根源的な喜びを引き出すものだから、文化を越えて共有されているんだと思います。
大人になると赤ちゃんは、シンプルな野生動物から人間という小難しい生き物に変化していきます。すると喜びも小難しくなります。例えば私がもし「ジャンプで連載しませんか」と言われたら喜びますが、その喜びは何に対してなのかと考えると、何か世の中に認められたような感じとか、おこづかいが毎月増えるとかであって、じゃあおこづかいが増えると何で喜ぶのかと考えると、いやなんか買い物とかできるしとなって、では何が欲しいのかと考えると、特にそんなになかったりするわけです。すると本当にそれ嬉しいのか?となっちゃいますよね。これは人間の他の小難しい喜び、例えば有名になりたいとか、高級車に乗りたいとかにもあてはまると思います。そういうような本当にそれ嬉しい?みたいな小難しい喜びに惑わされないよう、生き物として根源的な喜びを大事にしたいという意味でも、サプライズを習慣にしているのです。
私は毎日お昼ご飯と夕ご飯を作る時、その内容を妻ちゃんには内緒にしています。スーパーに買い出しに行く前に「今日何が食べたい?」と聞く時もありますが、基本的には自分流で作ります。一種のサプライズです。そして7割くらい完成したあたりの時間に、妻ちゃんが犬の世話を終えてリビングにやってきます。そして「なんか超いいにおいがするー!」的な事を言いながら台所にトコトコ来てごはんのつまみ食いが始まります。子供みたいで笑っちゃいますよね。でもそれが、いないいないばあでサプライズを起こす親と、キャッキャと喜ぶ子供のようで、お互いにシンプルな喜びが発生するのです。これは一種の「育て直し」でもあります。育て直しとは、子供の頃に子供らしくいれなかった人が、大人になってからもまだ心理的に残る幼児性を、誰かに解消してもらう営みです。具体的には、毒親育ちで子供らしく過ごせなかった妻ちゃんが、大人になった今子供っぽくふるまう事で、自身の中の満たされなかった幼児性が満たされ、心理的にも大人になれるという事です。私は妻ちゃんと知り合ってからの約20年間、ずっとそういうスタンスで接し続けています。
正直なところ、こういう接し方が出来る人って限られていると思うんです。「年相応に大人になれよ!」とか、「こっちだって疲れているのに!」みたいになっちゃいますよね。しかも私は10年以上強めの不眠症に悩まされているので、普通なら私のほうがお世話をしてほしい側なんじゃないかとも見えると思います。私がそういう接し方ができる理由は2つあって、1つは私を育ててくれたおばあちゃんは肉体的にも社会的にも弱い存在だったため、私は小さい頃から「弱ってる人には気を使ってあげなきゃ」が普通だった事です。
そしてもう1つが、今回のおまけページに描いた漫画です。
こういう、自身の無力感を他者への献身で解消しようとする行動を、共依存と言います。AはBのお世話をする事に依存し、BはそのままAに依存するという関係です。共依存はネガティブな心理として捉えられる事が多いです。よく心理学の本に書かれるまずいパターンの共依存は、例えば自己肯定感の低いAさんがアル中のBさんに暴力を振るわれながら「でも私がいなかったらBさんは行き場所が無くなってしまうから…」と、お酒代を渡すような関係です。AさんはBさんにお酒代を渡す事で「暴力を受けても尽くす私は素敵な人…!」という無意識下の心理があるのです。でも双方のためになっていませんよね。私の場合も根にある心理は一緒で、自分がこの世界で居場所が無いような感覚を解消する手段として、妻ちゃんへの育て直しを行っている面があるのです。究極のところ、妻ちゃんのためではなく自分のためなのかもしれません。そういう意味ではネガティブな心理です。けれども自分のそういう部分を認めて、妻ちゃんへ日々の喜びを提供するというスタンスを崩さず、自制を欠かさない事も私の日々の習慣になっています。簡単に言えばまずいパターンの共依存にはならないよう気を付ける習慣という事です。そしてそのために、こうやって考えている事を漫画にして客観視する、それもまた毎日の大切な習慣なのです。
私はこういう自分の考えに関する漫画は2016年から、それ以前には普通のラブコメやギャグみたいな漫画を10年近く描いて出版社に持ち込んでいました。一回もそれが雑誌に載った事はありませんし、SNSでバズった事もありません。それでも毎日描く事が習慣になっているなんて、正直変な人ですよね。でも絵を描く事の、「おっ難しい角度だけど描けたぞ」とか「なかなか面白い表情が描けたぞ」などは、以前に出来なかったことが出来るようになったという、生き物としてシンプルで基本的な喜びだと思うんです。そしてそこでまた「あーこれってひな鳥が練習して飛べるようになりました的なのと同じ事なのかもなあ」と新しい気づきを得て、それを漫画にして、また1円にもならない漫画を描いてしまったな~俺って変わってるな~うけるな~と内心ニヤニヤしてしまうのも、また大事な習慣なのです。現代は情報にあふれていて、あっちこっちに目が移って一つの事を習慣化しづらい時代かもしれません。でも習慣って日々の事だから、自分の中に蓄積されて、それがガチガチに堅い棒とか壁みたいになるんです。そしてその堅い棒が自分への支えや強さにもなりえるのです。なので私は、自分の漫画はとても面白いし、妻ちゃんへの愛情は強力だしと、自身満々に言えます。これを読んでくれているあなたも、そういう習慣を持っていたり、そういう習慣が見つかると素敵だと思います。
[おまけ]
共依存については、以前にも3つ漫画を描きました。まずいパターンの共依存についてです。でも、実は日本って「仲の良い夫婦ね~」と言われる夫婦の根底に共依存性がある事は多いんじゃないかと思っています。
共依存は親子でも起こります。現代は夫婦やカップルより親子関係のほうが密なので、親子で共依存のほうが多いかもしれません。それについての漫画です。
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