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[#私のストレス解消法] THIS IS JAPAN! 第9話 This is HOST CLUB!

THIS IS JAPAN! は海外の人に日本のちょっと変な文化を紹介する漫画です。その日本語訳バージョンです。

ホストクラブって今はすっかりメジャーな存在になりましたよね。行ったことがある人は少ないと思いますが、その存在とだいたいの感じはみんな知っていると思います。私が子供の頃、1980年代~90年代中盤まではとてもアングラな世界で、知らない人の方が多かったです。そして90年代後半から深夜番組などで取り上げられるようになり、2000年代に入ってからはゴールデンタイムでドキュメンタリー番組が組まれたり、メジャーなファッション雑誌にも登場するようになり、一気にみんなが「こういう世界があるのかー」と知るようになりました。

我々は資本主義社会で生きています。資本主義社会とは、お金によって人生のいろんな事が解決する世界です。なのでみんな人生のいろんな事を解決するためにお金を儲けようとします。割と日本はお金儲けのためなら全力でいくタイプなので、戦後に急激な経済発展ができて世界トップレベルの経済大国になりました。衣食住の生活必需品は高品質な物が全てお金で手に入りますよね。それ以外にもアニメやゲームなどのエンターテインメントも豊富で、それらも全てお金で手に入ります。それは逆に言えば、それらを使ってお金儲けをしたい人がいるということです。そして受験、結婚、就職といった個人的な事にすら他者のお金儲けが入り込んでくるようになり、もっと個人的な「人間関係」ですら他者のお金儲け要素になりました。その一つがホストクラブです。

現代日本は人間関係が薄くなったとよく言われますよね。外で知らない人と喋るような事は減りましたし、公園で子供がうるさいと本気のクレームが入ることもありますし、親子ですら仕事が忙しかったり子育てに優しくない世の中だったり偏った考えにとらわれたりして、病んだ関係になることが多いです。これは他者との愛着が形成されにくいとも言えます。愛着とは簡単に言うと「素の自分が世の中に受け入れられてる感」です。「素の」がポイントで、例えば「勉強ができる自分が世の中に受け入れられてる感」や「顔がかわいい自分が世の中に受け入れられてる感」などは素ではないので、愛着が形成されているとは言えません。多少ダラっとしてたり、鼻毛が出ていても世の中に「まあ、大丈夫大丈夫」と言ってもらえている感のことです。現代にはこの感覚、あるでしょうか?あんまりないですよね。これが4Pめで描いた「他者へ気を使うことが強く求められる」の本質にある部分です。

ちょっと脱線しますが、子供は基本的にダラっとしていたり鼻毛が出ているものですよね。そして大人になるにつれてダラっと&鼻毛出ててもOK/NGポイントを使い分けるようになります。でも子供のうちからそういう大人の論理をあてはめられて子供らしさを制限されていると、愛着障害やアダルトチルドレンといった症状が出るようになります。簡単に言うと人に気を使いすぎたり、逆に自分を押し付けすぎたりしてしまう症状です。過剰に真面目もしくは過剰に不真面目となる場合もあります。要は人や社会との距離感がわからなくなってしまうのです。そういう人は現代にワンサカいますよね。これも「素の自分が世の中に受け入れられてる感」があまり無い現代の雰囲気とつながります。

https://note.com/yuki1192/n/nb81011eb0022?magazine_key=m83ac0d58f5d0


そしてホストクラブはその「素の自分が世の中に受け入れられてる感」の欠落にピッタリはまったビジネスだと思うのです。想像してみてください、ホストの人に「ウワァーン毎日だるいよーゲームばっかして暮らしたいよー」と素の自分全開で言えば「わかる!〇〇ちゃんは毎日がんばってるもんね!」と言ってヨシヨシしてくれますよね。多少鼻毛が出ていても、見ないふりをしてくれるかギャグに変えてフォローしてくれるでしょう。

また少し脱線してしまいますが、以前に鬼滅の刃のヒットは欠落したパパ感&ママ感の補完によるものという漫画を描きました。この仕組みも言い換えれば「素の自分が世の中に受け入れられてる感」です。子供っぽい善逸くんや伊之助くんが、炭治郎くんというホスト的存在にヨシヨシされている部分にグッときた読者が多かったことが、大ヒットにつながったのではないでしょうか。漫画は非常にカジュアルな娯楽なので、世の中の空気感を強く反映すると思います。それは過去のヒット作を見ても明らかですよね。それだけ現代は「素の自分が世の中に受け入れられてる感」が減っているのだと思います。


それと同時に、現代は他者への依存が強い時代だとも感じます。資本主義社会とはお金でいろんな事が解決できる世界の事ですが、それは他人任せが増える事でもあるからです。今日は仕事が遅くなっちゃったから夕ご飯はスーパーのお惣菜でいいやという時、お惣菜を作っているのは他人ですよね。むしろ遅くまでスーパーを開店しているのも他人ですし、22時以降のお惣菜には半額シールを貼りましょうという命令を出しているのも他人なのです。そして新人のバイトがモタモタしてて22時以降に半額シールが貼られていないとイラっときてしまう、冷静に考えると完全に他人任せですよね。本来は自分で夕ご飯は用意するはずなのですから。そこから発展して、自分の欲求を他人を使って叶えようとするレベルが高いことが依存です。それはそのままホストとお客さんの関係にも言えます。自身で解決しきれない欠落をホストを使って解決するわけです。ヨシヨシしてもらうこともそうですし、4Pめで描いたような重課金をしてランクを上げて「こんな私でも役に立った!感」を手に入れることもそうです。非常に個人的であるはずの内面の問題まで他者に依存しなくてはいけない人が増えたことが、現代の特徴だとも思います。

もちろんその心の動き自体はそんなに悪いことだとは思いません。なぜなら、依存と投影はセットなんです。依存している相手に自分を投影して、その相手が成功すると自分もいい気分になる、それって仕組みとしては例えば昭和の熱烈阪神ファンのオッチャンと変わらないと思うんです。バンドやアイドルのファンだってそうですよね。もともと欠落を抱えた人たちだけでなく、大人として生きていくにはみんな「素の自分」は抑圧しなきゃいけないですし、そこから欠落も生まれます。そこで何かドーンとした存在にはまりこんで自分を投影して応援するのは自然なことだからです。現代の日本は大人になってからの抑圧が特に大きいですし、人間はそんなに強い生き物ではないので、そういう場所は絶対に必要です。最近は「推し」と言って、何かを応援してライブに行ったりグッズを買ったりすることがブームになっていますよね。それも全体的な「素の自分が世の中に受け入れられてる感」が減り、何かドーンとした存在に自分を投影して、その成功に自分を重ねているように思えるんです。

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最後に、「ドーンとした存在」とは「絶対的な存在」とも言い換えられます。欠落を抱えたお客さんにとってのホスト、熱烈阪神ファンのオッチャンにとっての阪神タイガースのように、強く執着する対象のことです。そして現代の多くの人にとっては「美とお金」が、その絶対的な存在になっている気がしませんか?例えば「かわいく(イケメンに)or お金持ちになれば人生の幸せランクがすごく上がる」といった思考パターンのことです。もちろんビジュアルが良ければ得をすることもありますし、お金で解決は資本主義の基本です。でも実際はそれらと人生の幸せランクは必ずしも比例しませんよね。言うほど絶対的ではないんです。みんなもそれは知っているはずです。でもわかっていてもそれを絶対的な存在にしちゃう気持ちが頭のどこかに残ってしまうんですよね。その美とお金の絶対感がバチっと両立しているのもホストクラブだと思うんです。美とは華のことです。普通にイケメン的なホストもいれば、感じがすごくいい人、クラスのお調子者みたいなおもしろい人、いろんな華があり、そこでお金を介した人間関係ができるわけです。お金を払っているから楽しませてくれる保証もありますし、お金を払っている関係だから逆に自分も割り切れるというのもあります。売上で順位が決まるのも、順位が絶対的なものだからですよね。No.1は明らかにNo.1で、No.5とかNo.10とかではないのですから。特に日本人は子供の頃から成績で順位を決められているので、競争の絶対さに対する信頼は深いです。そして欠落を抱えてしまった人ほど絶対的な存在を求めます。なぜなら「これを信じていればOK」という存在は、悲しみで疲れてしまった自分の頭で考えなくていいし、裏切られることもないからです。それは鬼滅の刃でワガママ放題の善逸くんや伊之助くんにとっての炭次郎くんが、いつも信じていてOKなパパ&ママ的存在であるのと一緒です。

https://note.com/yuki1192/n/na8cddb562bb7?magazine_key=m0b7b30a5d458

我々は基本的に幸せになることが一つの目標ですよね。資本主義社会はお金でその幸せ要素が手に入るという前提で発展しました。お金があればいろいろな物が買えるからです。おいしい食べ物や、ディズニーランドの入場パスや、阪神の試合のチケットや応援する時の応援グッズや、ホストクラブでもらえる楽しい時間です。でも、これらは全て「Enjoy」だと思いませんか?ワーイ!楽しいな~!アガるな~!という感覚で、「Happy」つまり幸せとはちょっと違うと思うんです。確かにEnjoyにも幸せを感じますが、毎日ワーイEnjoy!をやっていると疲れたり飽きたりてしまいますよね。Happyはもっと「安心」や「愛情」に近い概念だと思うんです。安心や愛情は毎日あっても疲れも飽きもしないもので、地味ですがホンワカ感がずっと続き、心が安らげる感覚が本当の意味での幸せだと思うのです。つまりお金で買えるものはEnjoyであってHappyではないんじゃないかな…とも最近思っています。


日本は世界大戦にボロ負けして以降、超がんばってお金持ちの国になってお金で何でも買えるようになって、もはや人間関係もお金で買えるようになってこれでHappyだー!と思っていたら、ずっとHappyとEnjoyを勘違いしていたような気がします。そしてHappyの基本にあるであろう人間関係すらお金で解決しはじめて、それの最新形がホストクラブなのではないでしょうか。「ホストクラブなんかにはまっちゃダメ!」みたいな言い方をよくされますが、ホストクラブがどうこうではなくて、まずはなぜそういうものが必要な人たちが出てきてしまったのか?ですよね。心に欠落を抱えた人って意外と元気に見せようとしてて、周りはそれに気づかないことが多いのですから。

[おまけ]
ホストクラブに限らずワーイ感のある場所って、その場所自体が中毒性があるんです。いわば「騒ぎ中毒」のようなものです。常に家ではTVがついていないと落ち着かないと似たようなもので、ワイワイ聞こえると欠落が埋まるような感覚です。前回に描いた漫画もそうですし、私にとってゲーセンがそうでした。


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