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備忘録:父との最後の時間

3月1日 4時9分。父・勝が58歳で永眠しました。一昨年の夏に発覚したガン治療を生き抜き、最期は家族に見守られながら息を引き取ることができました。
父は入退院を繰り返す中でも自分流の過ごし方を貫こうとし、病院で黒ジーンズを着用し続け、新しくネット回線を契約したり、抗がん剤で髪が抜けた時も普段着に似合う帽子を着用したり、退院した際は兼業で続けてきていた田の面倒も見ておりました。

1月に容体が急変し、以降毎週京都と実家を往復することになりましたが、この数ヶ月、数日間は、寡黙だった父と30年分の時間を埋める対話の時間を持つことができたように思います。

最期まで、建築士としての仕事と、守ってきた家・土地・田のことを気にかけていました。
生憎、私は家を建てることはできませんが、人の過ごす場をつくることが生業です。また、田については受け継いでいくことにしました。

喪主を務め、昨日の告別式で父を送り出すまでには、本当に多くの方々にお世話になりました。
親戚、親族一同40名ほどが、母や祖母の支えになってくれました。地域の皆さんが、この地域の風習に沿った段取りを教えてくれました。父のバイク仲間が、半年以上眠らせていたバイクを復活させ、斎場に運んでくれました。そして、父の訃報を聞きつけ、300名弱の方が通夜・告別式に足を運んでくださりました。

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特に、父の好きだったバイクについては母の願いもあり、叶えることが出来てよかったです。
会場ロビーは、父のバイクやジャケット、ヘルメットが並ぶ趣味の空間になっていました。また、出棺の際もバイクのエンジンの爆音を響かせて出発するという活躍ぶり。足袋を履いて旅路を往くのではなく、バイクに乗って旅立つ方が、父らしいのかもしれません。バイク仲間の皆さん、会場の方々に感謝します。

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諸手続き等により、数日間、連絡等滞ってしまうことになります。お仕事関係でお世話になっている皆様、申し訳ありません。

この数日間は、家族のそれぞれの貢献と協力無しには終えることは出来ませんでした。何をするべきか調べ、役割分担して行動に移す、積極的に任せていく中でチームワークは格段に上がったのですが、心身共に無理もしました。

特に母については、父の闘病中、1年7ヶ月に及び毎日仕事終わりに1時間かけて病室に通い詰めていました。
家族の健康が第一です。自分もまた、背負うものが増えました。簡単に倒れるわけにはいきません。健康第一です。
数日間、やるべきことも多いですが、家族の時間も大事にしていければと思います。

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