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ゼロから始める伊賀の米づくり〜新米兼業農家の記録〜

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2020年1月、三重県伊賀市の父の実家の田を継ぐことになった男の米作り1年目からの記録です。京都⇄伊賀の二拠点生活を送っている筆者が、家族の思い、地域の信頼に応えるべく、自然のま…
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ゼロから始める伊賀の米づくり20:晴天の田園風景と溝切ライダー

田植えが終わって一ヶ月半ほど。 5月末から突入してしまった梅雨にも負けず、苗も少しずつ着実に成長してきました。 そして6月中旬。 この、梅雨の中頃は中干し前の溝切りの季節です。 中干しとは、田んぼの水を一度すべて抜き、土を渇かすプロセスです。 米づくりにおいて、日本では基本的に水稲栽培……つまり、田んぼに水を張り、そこへ苗を植えていく方法で米を育てています。 そうすると土の中の酸素が不足すると同時に、温室効果ガスのメタンも発生します。 そんな中で、一度田んぼの水を抜

ゼロから始める伊賀の米づくり14:春が来る前に石拾い

2021年、2月某日。今回は、田んぼの石拾いをすることにしました。 昨年の収穫が終わったあと、トラクターに乗って「秋起こし」をしたわけですが、 トラクターに乗って田んぼの中を走っていると、土の中にある石が顔をのぞかせている様子がよく見えます。 田んぼの中に石があるとどうなるか? トラクターに乗れば、耕している際にその爪が傷つきやすくなり、 田植えをするために田植え機に乗れば、苗が石に引っ掛かり、根を張りにくくなります。 基本的に良いことがありません。 そのため、

ゼロから始める伊賀の米づくり13:冬、祖父を思う

冬は、基本的にいわゆる農閑期ですが、農業は日々の環境整備が重要な営みです。また、その日々の環境整備は、利益追求的・株式会社的な観点からは不払い労働とも呼べる側面もあります。(詳しくは以下もご覧ください) ただ、自分にとっては生まれ育った土地であり、この先の集落の未来を思うと、大事にメンテナンスしていきたい場所でもあります。 おそらくその視点には、自分でも気づかないうちに、単なる金銭的利益追求とは別の価値が置かれているのでしょう。 ともあれ、冬はこの環境整備に取り組むこと

ゼロから始める伊賀の米づくり12:秋起こし

初めての収穫が終わった『ゼロから始める実家の米づくり』。 いわゆる農閑期となった秋冬も作業は続きます。 直近の稲刈りで活躍したコンバイン(稲刈り用の重機)の点検を行った後は、『秋起こし』です。 『秋起こし』は、稲刈りの時に残った稲藁をトラクターで鋤き込み、土に還していくと言うものです。 実は稲刈りの際に、コンバインを運転した時、稲を割と地上から離して収穫を行いました。地面が先頃の雨でぬかるんでおり、土ごと収穫して機械が故障してしまうリスクがあったからです。 そうする

ゼロから始める伊賀の米づくり11:稲刈り編:計2.5t収穫、精米〜出荷

米の収穫を終えた翌日。籾摺りが始まる。 家のすべての田から取れる稲穂は、一旦乾燥機に入れ、乾燥させる。そして、籾を精米し、袋詰めし、そして農協(JA)へと出荷する。例年、苗の注文時にどれだけの出荷をするかを提出する。年によって、天候の都合で不作になる時、豊作になる時、様々だ。 収穫したその日の内に、籾を乾燥機に入れ、翌日の朝から始める。そういった算段で進んでいく。 収穫の日の早朝6時半、父の友人Sさんの家に母は6時半から出かけて行った。今年は、私の家とSさんの家の、2つ

ゼロから始める伊賀の米づくり10:稲刈り編:初コンバインで収穫

とうとう稲刈り当日である。前日のひどい豪雨から、無事に晴れ間が見えて来た。 当日は、朝6時半くらいに目覚めた。心身ともに前日までで極限まで疲れすぎたこと、昨晩もまた母の準備する大量の食事で胃もたれ(若者はたくさん食べるものだ、と言う考えは未だ健在である)。とても、寝れたものではない。勝手に目が覚めてしまい、その後眠れないというだけだ。 天気はよく、少しずつ体と心を初のコンバイン運転とその後のプロセスに向けてチューニングを行っていく。臨戦態勢に心身ともに切り替えていくのだ。

ゼロから始める実家の米づくり9:稲刈り編:台風の影響で翌日に延期

前日の夕焼けに期待しながら目覚めた朝7時、「今日こそ稲刈りができる!これでようやく終われる!」と言う期待は脆くも崩れ去りました。 台風9号の影響により、局地的な大雨に見舞われたため、その日の稲刈りそのものはなくなってしまったのでした。 それでも、準備のできる限り、やるべきことは進めておかなければなりません。 長靴、手袋、洗面タオル、長袖の丈夫めの服を着込み、いざ出陣。 とりあえず、雨が弱く治ったタイミングで、精米時に出るもみクズが飛ばないように、作業場の外にシートを張

ゼロから始める伊賀の米づくり6:今、自分を取り巻くすべての人と環境に感謝を。

2日前には代掻きまでを終え、水を入れて均した田を落ち着かせる。 前日には、田植え機のメンテナンスを終え、いよいよ田植えの日である。 天気予報では昼過ぎから雨の予定。思えば、物心ついた頃から雨や土砂降りの中で田植えを手伝った経験は無かった。不思議と、晴れの日の思い出が多い。 とはいえ、雨が降るまでに3反(約3,000㎡)×2枚+0.5反の田の植付けを終えてしまわなければ、後始末も大変だ。 今年は、母、祖母、奥さんと自分の四人体制で取り掛かる。 朝7時に目を覚まし、まずは

ゼロから始める伊賀の米づくり5:田に水を入れる=地域の目に触れるということ

年が明けて2月以降、私は2週間に1度くらいのペースでトラクターに乗り、田を耕してきた。トラクターに乗って土を耕すことは、冬の間に生えてしまった雑草を土に埋め込んで肥料にしたり、地表と地中の土を鋤いて入れ替えることで、微生物の活動の活性化を促し、良い土壌づくりに繋がる。(いわゆる、『天地返し』の原理と同じである) そして、四月末、いよいよ田に水を引く『水取り』の時期がやってくるわけだが、水を引くとは、自分の家の田にとってどういう意味を持つのだろうか? 用水路は、当たり前では

ゼロから始める伊賀の米づくり4:百姓をするとは、地域の信頼を受け継ぐということ

「百姓をする(父から継いで米作りをする)」と決めてから、天気予報に敏感になりました。 数日後に雨の予報が出ていたある日、天気が良いうちに実家へ戻り、単身、トラクターを運転し、耕すことに決めると一路、伊賀市へ。 というのも、父の死後、実家の田を取り巻く様々な声を祖母や人伝に聞いていたのです。 『「お父さんが亡くなって大変でしょう?田んぼはどうするの?」って尋ねてきてくれるんや、近所の人は。私も年寄りやし、土地やら何やらをどうするとは、私からは、よう言えん。』 『俺は、勝

ゼロから始める伊賀の米づくり3:人の都合・天気の都合に折り合いを見出す

今年1月から毎週のように京都⇄実家を往復しつつ、百姓仕事に取り組んでいる。百姓仕事の性として、「天気の都合」というものがあるのだが…これがなかなかままならない。 『雨が降るやろ〜?そしたらトラクターを走らそうとしても嵌まり込んでしまうわけや〜。それに、土が乾燥していないと耕しても空気が入らん。長い間、晴れが続いて土が渇いたその時に鋤くわけや〜。』 とは、父の学生時代からの先輩であり、この地域ではほぼ唯一くらい自前の苗作りから米作りをしているシオちゃん(仮)の言葉である。シ

ゼロから始める伊賀の米づくり2:口伝(暗黙知)を見える化(形式知)する

今年初め。父に『これからは自分が田んぼ頑張っていくよ』と伝えて以来、京都を拠点にティールティール(ティール組織)と言うのと並行して、伊賀の実家の百姓仕事に精を出す日々。 『自分の父親について、手伝いながら覚えたもんだ』と父は言う。 『(頭でわかってても、現場で動けなきゃ意味は無いんだ)』と口でも態度でも示す父である。 あいにくと、自分は京都に出て仕事を始めてしまったため、常に実家に拠点を置きつつ仕事と農家を兼業してきた父や、祖父のようなスタイルで進めることは、現状では難し