「キャンピングカーで巡るニュージーランド南島-13」
1.Day 10‐3:カンタベリー平野へ - 最後の夜
17時、標高を下るにつれ、気温が上昇していく。
平野部に入ると、一気に視界が開けた。
「この辺りでお茶にしていかないか?」夫の誘いにひと休憩を取ることに。
【Springfield Café & Gallery】
羊飼いたちの憩いの場
地元アーティストの作品展示
手作りパイが評判
「この辺りの羊飼いたちは、皆ここに集まるんです」
カフェのオーナー、ジェーン(50代)が話しかけてくれた。
「特に悪天候の日は、誰かの農場で何が起きているか、情報交換の場になります」
窓の外では、夕陽に照らされた羊の群れが、
牧草地をゆっくりと移動している。
「特別な場所を紹介しましょう」
ジェーンが地図を取り出す。
「ここから30分ほどの場所に、古い羊飼いの小屋があるんです」
彼女の祖父が使っていた小屋を、今は農家民宿として開放しているという。
「予約はほとんど入っていないはずです」
【Shepherd's Hut】
URL:History of Shepherd’s Huts | Plankbridge Shepherd's Huts
19時、小屋に到着。
キャンピングカーを脇に停め、この旅最後の夜を、
100年以上の歴史を持つ羊飼いの小屋で過ごすことに。
「電気は限られていますが、星空の方が、ずっときれいですよ」
鍵を渡しながら、管理人のトム(65代)が微笑む。
小屋の中は、時が止まったよう。
古い写真が壁に飾られ、暖炉には薪が用意されている。
窓からは、広大な牧草地が一望できる。
トムが暖炉に火を入れてくれた。
「これでも飲みながら、星でも見ませんか?」
地元産のピノノワールを差し出してくれる。
外のベンチに座り、南十字星を探す。
この14日間で見た星空を思い出す。
テカポ湖の天の川、
ミルフォードの渓谷に浮かぶ星々、
西海岸の波音と共に輝いた星座...
「いろんな場所で星を見たけど、どの空も違って見えたね」
夫の言葉に深く頷く。
同じ星空なのに、場所によって全く異なる表情を見せてくれた。
暖炉の温もりと、ワインの心地よい温感。
遠くで羊の鳴く声が聞こえる。
「明日で、この旅も終わりだね」
寂しさと充実感が入り混じる感情。
でも、この旅で見た景色、出会った人々、
体験したすべてが、私たちの中に深く刻まれている。
小屋の窓から、満月が昇ってくる。
この光は、きっと南島のどこかで、
今夜も誰かの旅を照らしているのだろう。
2.Day 11‐1:最後の朝 - 羊飼いの小屋にて
目が覚めた時、窓の外はまだ暗かった。カンタベリー平野の朝は、いつも霜を伴って始まる。100年以上の歴史を持つ羊飼いの小屋で過ごす最後の夜が、静かに明けようとしていた。
温度計は8度を指している。薪ストーブの残り火が、かすかに赤い光を放っている。夫が無言で火を起こす。この旅の間で、私たちは言葉を交わさなくても、お互いの動きが読めるようになっていた。
窓の外で、最初の光が大地を撫でていく。霜に覆われた草原が、まるでダイヤモンドをちりばめたように輝き始める。
「コーヒーはいかがですか?」
トムの声が、静寂を優しく破る。彼は夜明け前から起きていたらしい。手にはポットを持ち、もう一方の手には新鮮な羊乳が入った小さな壺。
「朝の餌やりを手伝ってもらえませんか?」
その誘いに、迷う理由などなかった。空港まであと90キロ。時間はたっぷりとある。
羊たちは、トムの姿を見るなり、小さな丘を駆け下りてきた。何百という蹄の音が、凍った大地を震わせる。朝靄の中、それは幻想的な光景だった。
「羊たちは、人の心を見抜くんです」
トムは干し草を投げながら言った。
「この仕事を始めて40年。彼らから教わることの方が多かった」
その言葉に、この旅の記憶が一気に蘇る。テカポ湖に映る星々、ミルフォードの霧雨、フランツジョセフの氷河。しかし、最も鮮明に残っているのは、出会った人々の言葉だった。
キャンピングカーに戻る頃、太陽は完全に顔を出していた。
エンジンをかける。バックミラーに映る羊飼いの小屋が、朝日に照らされて小さくなっていく。
「変わったね、僕たち」
夫がつぶやく。返事はしなかったが、その意味は十分に分かっていた。この旅は、単なる観光ではなかった。それは、自分たちを見つめ直す旅だった。
クライストチャーチへと続く道は、まっすぐに伸びている。両側に広がる麦畑が、朝風に波打つ。この景色もまた、もうすぐ記憶となる。
(続く...)