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お笑いにそこまで興味がないのに芸人の半生の物語が好きなのはなぜか。

「だが、情熱はある」が今期のドラマで1番のお気に入りだ。
始まる前から、オードリー若林と南キャン山ちゃんの話と聞いて、期待度も1番だった。

というわけで、友達や同僚とのドラマトークでは当然、だが〜が1番お気に入りであることを話す。
そのときに、オードリーのファンなのか、お笑いが好きなのか(=だから観てるの?)というニュアンスの事を聞かれた。

そこでふと気づいた。両方とも当てはまらない。
私は別にお笑いにはあまり興味がない。
オードリーも南キャンもM-1で脚光を浴びた事は知ってるし、コントも見たことがあるけれど、それに対して特に何か感情が沸くわけではない。
たまーに聞きたいなと思ってYouTubeで検索するのはサンドウィッチマンのコントくらい、浅い人なのだ。
※サンドが浅いということではなく、国民的人気の芸人のネタをたまーに欲するくらいというバロメーター的な話。

しかし、お笑い芸人の半生の物語はたまらなく好きなのだ。
特にお気に入りは浅草キッド。もう何回も何回も観ている。

一体なぜこのような矛盾が起きるのか考えてみた結果、3つの理由があるような気がしたのでまとめてみた。

※※
この後、「だが、情熱はある」5月21日放送分のネタバレを含む記載があります。
とは言え、南キャン・オードリーに詳しい人にとってはネタバレでもなんでもない😂
※※

お笑い芸人の半生の物語が好きなのはなぜか

1.成功している人の物語だから

ネタになるお笑い芸人は、成功を収めていたり、何か偉業を成し遂げている人が多い。
言わば、そこに行き着くまでに波乱はありつつも、必ず成功のゴールへ向かっていることが分かっている。
サクセスストーリーは見ていて気持ちが良いし、転機となるところも調べれば分かるから、現実との答え合わせをワクワク待つ感じも堪らない。
昨日の放送では、とうとう2004年のM-1に南キャンとナイスミドルがトライ。
CM中にその結果を検索した私は、南キャンがとうとう世間に認知されるんだ!!という事実に感動し、M-1で優勝なんて無理だ!と、ウジウジウジウジしている若林に対し、あんた達、イケるんだよ!!と、1人で興奮する始末。
セルフネタバレしてもしてなくても、成功している現在までの道のりを楽しめるので好きなのかなぁと思った。

でもそれならお笑い芸人でなくても、経営者とか、会社を立て直した著名人みたいなそういう物語も無条件で好きなはずなんだけど、そういうわけではない。
では他に考えられる理由は?

2.下積みのときの濃い描写が楽しいから

お笑い芸人は、売れた後に下積み時代のことを話す方が多いように、ネタの宝庫であること多い。
だから単純に下積み時代の描写は面白いし、そのエピソードには、当時食わせてくれた先輩や、影響を受けた師匠、敵わない同期など、誰だか分かるような描写をされることが多いので、とにかく濃い物語が展開されることが多い気がする。
あの有名芸人とそういう感じなんだ!という小ネタが知れるのも楽しい。

3.似ていないのに似てるから

そして最後は、キャストの顔はその芸人に似ても似つかないのに、結局似ているのが、リスペクトを感じられて好きだ。

実在の人物を演じるときに、モノマネはして欲しくないけど似ていて欲しいという我儘な思いがある。
お顔が美しい俳優が勝負の土俵が違うお笑い芸人を演じると、見た目が似ていないことが多いのに、それ以外の本人の特長をめちゃくちゃ掴んでいて、結果、顔の違いが気にならない、もはや本人でしかない感情にさせてくれることがすごい。
そんな演技をしている俳優さん、演出してくださっているに違いない制作側に感謝の気持ちすら起こる。
ただね、森本慎太郎、君は別だ。見た目も山ちゃんでしかない😂😂😂
おかげで、めちゃくちゃかっこいいエンディングまで、君がSixTONESであることを忘れるよ。


余談だが、SixTONESの主題歌が良すぎる。エンドロールの良さも相まって、日曜日の夜にぴったりの、元気を与えてくれる曲だ。


というわけで、お笑い芸人の半生の物語が好きな理由がなんとなく整理できた。これなら、その芸人に興味なくても楽しく観られるのに納得してもらえるのではないだろうか。

ちなみに、浅草キッドを観た後、聖地巡礼もめちゃくちゃしたし、たけしさんのタップもYouTubeで観たけど、ツービートの漫才は特に観なかった。
今回のだが〜も、Tverで本家の「たりないふたり」が配信されているけど特に興味も持てない。

自分のトリガーがつくづく謎だが、つまりは、芸人の半生を描いた物語は、お笑いに興味がなくても、十分楽しめる。そして、「だが、情熱はある」は最高だから、とにかく観てみてって話。

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