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人の言う事

人の言う事って、ほんまに正しいの?

信頼の有無に関わらず、本人から直接聞いてもないのに、本人がそう言ってたっていうのを人から聞いたから確か。

なんて事があるのは世の常と言うほどやろう。

例えばそれがその人の気持ちやったとして、その時はよくても時間が経てば人の気持ちなんかコロコロ変わってもおかしくない。そうすると、本人からそう聞いた人にしょっちゅう聞いてでも確認しないと、当たり前やが話は変わってくる。そして狂ってくる。

もしかしたら、これまでに人を介して聞いてきた事って、全てが間違いかも知らん。それを馬鹿みたいに信じて、聞いた事だけが頼りとそれに縛られてはないか?

ある人から自分はこう思われていると思ってる、そしてそれを助長するような事をほかの人から聞いてしまうもんなら、手のつけようがなくなってくる。

それが事実でないとするなら、ある人の立場はありもしないのに勝手に作られてしまい、下手すりゃ悪役になりかねへん。ある人はそれすら知らずに、知らされずに過ごす事になる。

そんな人が、この世に一体どれだけいるやろうか。


でも、自分も両方の立場にあると思う。知らず知らずのうちに、または特に意識もせずに、人の事をあれこれと話している。誰しもよくある事やろう。特に家族とは人の話になりやすい。仲のいい友人とかもそうなる。

そこで留まっておけばまだいい方かも知らん。

今はSNSに晒されやすい。笑

たまったもんじゃないね。
特定の人物を指さず、誰の事なんか分からないようにしてだらだらとツイートしたり、ストーリーにやたら長文をわざと小さい文字であげたりする。

全く関係の無いのに神経質な人がそれを見たら、もしかして自分の事?って不安になる事だってある。自分がそういうタイプの人間やから。今まで幾度もそういう経験をしてきた。笑

まあほんのわずか一時、または一瞬の事やから考え込む事はないけど。

なんにせよ、真実を見たでもない、聞いたでもない事を、あたかも知ったようにするのはほんまに気を付けなあかんなと思う。

どうしても新しく知った事を、こうなんやでとか人に言いたくなる気持ちも自分にはある。もちろん裏付けを取った上ではあるけど。

特に多数の人が関心を持つ事になると、スピード勝負みたいなところも出てきてしまう。


だんだんとどこに向かっていくのか分からんくなってきたのでまとめる。


人言伝(づ)ては、あくまでも人言伝て。人頼みは、人頼みでしかない。

人の口ひとり通ればひとり、ふたり通ればふたり、と、人の口を通れば通るだけ、話は狂ってくる。狂った話をした日には、あちこちで誤ちが出来る。そうなったらどうにもならん。

よって、真実が知りたければ、聞きたければ、本人に直接聞いたらいい。


周りの多くの意見と自分の憶測が合い、それを助長するような、更には確たる事を他の人から聞いたとしても、それが真実かどうかは分からない。人の言う事はね。

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