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UNTITLED

夜空の色が濃くなって、ふとまどろむそんな時間に、外から何かの音が聴こえたら。

しゃりしゃり、さりさりという不思議な音に、決してついて行ってはいけないよ。

なぜならそれは—。

地図に小さく名が乗るだけの小さな町に、僕らは滞在していた。
目指す大きな町への経由点で、バスを待つ一晩だけ過ごすつもりだった僕らは、その町の居心地の良さについつい長居をしていた。

その町の人々は、自分たちの風景の中に、とても自然に僕らを受け入れてくれた。
いわゆる観光客向けのレストランは一切なく、その町の人々が普段から使うような、屋台スタイルの露店が並ぶ。その前に、簡素なテーブルと、ひっくり返した椅子代わりのビンケースがいくつか置かれている。そこに座って食事をするのである。

決して綺麗ではなかったが、足元に吹き飛ばされて引っかかるどこかの店のチラシさえ、僕らがここにいることを許しているような気がするから不思議だ。

言葉も通じない店も多く、周りの人が食べているプレートを指さしたり、ウインドーに並ぶ食材を指差したりしてメニューを選ぶ。

思ったのとちがったのが来たって、まあそれはそれだ。新しい味と出会ったことに喜んで、お金を払う。今日は豚肉の揚げたのが食べたくていろいろとジェスチャーをしたはずなのに、なぜか手元に来たのはソースを重ね塗りして焼き上げた鶏肉の、フライドポテト付きのプレートだった。

君は笑ったが、そういう君の手元に来たのも全然ちがうものだったから僕も笑った。そしてそれはどちらもとても美味しかった。

「いいよな、こういうの」

と、君は熱い料理を吹き冷ましながら言った。

この町の人々は、旅人には慣れているらしい。けれど、それは隣に大きな町があるからだ。隣と言っても距離のあるその町へは夜までに着くことができないから、みんなこの町で一泊だけして次の朝には出発していく。僕らのように一日以上町をふらつく旅人は珍しい。

昨日の夜に初めて訪れ、美味しかったから今日の昼にも顔を出したら、屋台を切り盛りするおばちゃんはびっくりした顔をして、肉にソースを昨日よりも多くかけてくれた。

そんな感じだから、夕食もその屋台で食べて、僕らは宿へ戻った。

子だくさんの夫婦が経営する小さな宿屋。
帰るなり、「おかえり!」と声がかかり、子どもたちが飛びついてくる。

「おいおい抱きつくな。食べたもんが出ちゃうだろう」と言いながらまんざらでもなさそうな君は、だぶだぶのシャツ一枚の男の子のちょりちょりした髪をなでている。もう少し大きい女の子が、ほわりと湯気の立つ香茶をお盆にのせてたどたどしく運んできた。お礼を言ってそれを受け取り、レセプションの隣のソファに腰を下ろす。

「悪いなあ。だいたいの人は話す間もなく出ていっちまうから、こいつら嬉しいんだよ」

レセプションの中から宿屋の主人が言葉と裏腹に嬉しそうに声をかけてくる。もう仕事のスイッチはとっくにオフになっていると見えて、レセプションの机の上には、乱雑とした書類に紛れて酒の瓶とロックグラスがあった。

ソファの周りには6人の子どもたちが群がって、「今日はどこ行ったの」「何食べたの」「楽しかった?」と矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。

「おいこれ熱いから触っちゃ…ゥァッッッヂ!!」

申し訳ないけど笑ってしまう。君はなぜか子どもたちに受けがいい。そっとタオルを手渡した。そうして時間は過ぎ、小さな子どもたちは母親に連れられて、こちらを振り返り見ながら寝室へ向かう。

眠そうな目で、明日もいてねと繰り返す彼らに、「わかったわかった」とめんどくさそうに返す君の目は、言葉と裏腹に優しかった。

にぎやかなちびっ子たちがいなくなると、急に夜の色が深くなったような気がする。

そんなとき、外の通りから何かの音が響いてきた。
最初は小さく、だんだんと近づくように大きくなってくる。

しゃりしゃりとも、さりさりとも取れる、何かを引きずっているような、ぶら下げた何かが揺れるような、そんな音。ときおり、リリリン、と鈴の音が混じる。

「何の音だろう」

誰に言うともなくそう言うと、まだ残っていた子どもたちが口々に教える。

「こわいものが来たよ」

「わるいものが来たよ」

「いま外に出ちゃあいけないんだよ」

窓の外の通りの暗がりに目を凝らすけれど、暗いばかりで何も見えるものはなかった。

「見ちゃだめなんだってば」と、僕らの目を小さな両手で押さえる子どもたちをなだめて膝の上に乗せて、僕らは視線を交わした。

ひとり、またひとりと寝室に戻り、とうとう僕らだけになったとき、宿屋の主人に聞いてみた。さっきの音は何だったのかと。

「…あれはな、この世のすべての悪いものを売り歩く音だ」

何も見えない暗がりを見ながら主人は言う。

「絶対に、あれから何かを買っちゃいけないよ。理由があってもなくても。俺たちが何を買ってもおとがめはないんだ。けど、あんたたちはそうじゃない」

「どうして」

「あんたたちが旅人で、金を持っているからだよ」

主人はパイプ煙草に火を入れながら言う。じっくりと火が広がり煙に変わる。

「みんな、金に集まってくる。腐らず、廃らず、消えないものに。未来を求める者はみんな、そういうものに群がる。そういう香りのするところに、悪いものは寄ってくるんだ…。」

グラスの中の氷がカロン、と鳴った。

「豊かとは、いったいどういうことを言うのだろうね」

僕らに言っているとも、ひとり言とも取れないその言葉は、パイプの煙といっしょにしばらく空間を漂った。そうして主人は気を取り直したように僕らにグラスを手渡す。

「さあさ、あんたたちも飲まないか。あんたたちの旅が明日も明後日も、目指すところに着けるまでつづいていくことを、俺は祈ってるよ」







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