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「言葉」と「想い」~silent~

 「言葉」とは「想い」とは一体何なのだろうか。ドラマ「silent」には、これに対する1つの答えが隠されていると思う。

 私はこのドラマを見たとき、「言葉」について考えさせられた。同じ地球に生きているのに、なぜ複数の「言葉」があるのだろうか。「想い」とは、ただ心のなかにある気持ちだけのことを言うのだろうか。言葉と想いにはどんな関連性があるのだろうか。このドラマは、高校時代に付き合っていた青羽紬とろう者になった佐倉想が8年ぶりに再会し、再び出会い直すことになった2人の物語だ。

 まずこのドラマの会話方法に注目してほしい。「silent」では、基本的な会話は「手話」で行われる。スマホの音声アプリや、メモ機能、筆談での会話も多い。普段私達が行っている「声を使って話す」ということは、ドラマの半分ほどでしか行われない。

 これには、製作者のどんな「想い」が隠されているのだろうか。

 私はこれを見て、声を使って話すだけが伝え合う方法ではない、ということを改めて感じた。「言葉」は相手に自分の「想い」を伝えるためにある。私達は相手の心が全てわかるわけではない。聴者だろうが、ろう者だろうが、どんな人でも完璧に分かち合うことはできない。でも、その人にあった「言葉」で「想い」を伝え合う事はできる。手話に筆談に点字など、それぞれ自分にあった「言葉」を使うためにたくさんの言語があり、様々な伝え方がある。製作者は、私達が普段何気なく行う「声を使って話す」ということ以外にも伝え方は多くあり、またそれも「言葉」であるということを、このドラマで教えたかったのだと思う。

 次に注目するべき点は、セリフでの言葉選びに重みがあるということだ。想は自分の耳のことを知った際に、「好きな人がいる、別れたい」と紬にLINEで別れを告げた。そして8年後に再会した紬は、「好きな人ができたってLINE送ったでしょ?」と想に聞いた。想は、「好きな人がいる、って送った」と返し、その「好きな人」とは紬のことだったと明かした。紬は想の「言葉」を受け取りきれなかった。だから、「好きな人がいる」を「好きな人ができた」と勘違いした。想も紬が勘違いしそうな「言葉」を選択した。

 「いる」「できた」たったの3文字、それだけで意味が変わってきてしまう。受け取る側がしっかりと「言葉」を受け取り、その人の「想い」を受け取る必要がある。そして相手は、「想い」が伝わるように、「言葉」を伝えなくてはいけない。「言葉」の重さと、コミュニケーションの重要さがわかる。「想い」を伝え合うためには、分かち合うためには、伝える努力が必要なのだ。(現代の社会ではLINEなどの文字での会話が普及してきている。SNSによるトラブルも多くなっている。これはそんな今を生きる私たちへのメッセージだと思う)

 最後に主題歌に注目してほしい。このドラマの主題歌は、Official髭男dismの「Subtitle」だ。この曲の歌詞は想目線で書かれていて、また1つ、「言葉」とは何かを教えてくれる。

「言葉はまるで雪の結晶、君にプレゼントしたくても、夢中になればなるほどに、形は崩れ落ちて溶けていって、消えてしまうけど、でも僕が選ぶ言葉が、そこに託された想いが、君の胸を震わすのを、諦められない、愛してるよりも愛が届くまで、もう少しだけ待ってて」

 私達は昨日自分が掛けられた言葉、掛けた言葉を一語一句覚えていられない。雪の結晶のように、言葉はいつか消えていく。日が経つごとに、形は崩れ落ちて、溶けて、消える。でも私達は、普段自分が伝えたい心の奥底にある「想い」を「言葉」に託している。そして今日も、誰かに伝えつづけている。

 ドラマのシーンで、ある2人が手紙で「想い」を伝え合うシーンがある。私はこの歌詞を見たとき、文字にすれば、「想い」は残りつづけると思った。普段中々書くことのない手紙、文字にして伝えること。時間はかかるのかもしれないが、そこには1つ趣があると思う。

「もう少しだけ待ってて」

 想の、伝えても伝わりきれない、完璧に分かち合う事ができない。でも、何度も伝えよう、これからも伝えつづけよう、そんな「決意」と「想い」がこの歌詞から伝わる。

 曲名の「Subtitle」というのは字幕という意味がある。この曲は、想が紬に「想い」を伝えるためのSubtitle(字幕)だと思う。

 手話や筆談での会話、セリフの言葉選び、主題歌。これらが私達に、「言葉」「想い」とは何かについて1つの回答を導いてくれた。その人にあった言語で、伝え方で、「言葉」に「想い」を託して、人々は伝え合う。「想い」とは、その人の心の奥底にある気持ち。誰も完璧に知ることはできない、もしかしたら自分にもわからない。だからこそ「言葉」と「想い」は繋がっていると思う。

 高校時代の想が書いた作文「言葉」にはこんな事が書かれていた。

 「僕がこうして言葉への考えを文章にするように、伝えたい相手によって、その想いによって、言葉はどんな形にも変わってくれる。言葉が生まれたのは、きっと想いの先にいる誰かと繋がるためだ」

紬も「言葉」に対して、

 「人それぞれ違う考え方があって、違う行き方してきたんだから、分かり合えないことは絶対ある。他人のこと可哀想に思ったり、間違ってるって否定したくもなる

 「それでも一緒にいたいと思う人と一緒にいるために、言葉があるんだと思う」

 「想い」の先にいる誰かと繋がるため、一緒にいたいと思う人と一緒にいるために、「言葉」があるのだと思う。これは主人公である「想」と「紬」の、「想いを紬いでいった」2人の「言葉」への回答だ。

「silent」は私達に「言葉」と「想い」を教えてくれた。他にもこのドラマから学べることは多くある。だから、あなたの目でこのドラマを1度見て欲しい。そして、ドラマを見て、学んで、あなたの心の中に生まれた「想い」を「言葉」にして伝えて欲しい。令和に生まれたドラマは、私達に大切なことを伝えてくれた。


 最後まで読んでいただきありがとうございました。
 これは私が学校で書いた評論文です、いかがでしたでしょうか?
 これが最後のsilentの記事になると思います。
 「言葉」と「想い」、皆さんは何だと思いますか?



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