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こだわりを手放す、なんとなくスキのみで生きる。

それいいなぁ。
なんとなくスキだなぁ。
え!スキ!いいやん!
わぁ、スキすぎるーー。

スキは魔法って思う。

スキだから、好きになる。
なんとなくスキから愛になることもある。
いいなぁ、だから買っちゃう。
出逢った人のスキは大体見つかる。
だから友だちになる。
友だちはみんなスキ。

もちろんスキが見つかって、反対の苦手とか嫌いも見つかるだろう。
人だからね。
わたしはそこを見ないように友だちと付き合いができる。

いいな、スキは強い。

だからそこだけを見て、めんどくさいとこがありすぎる場合は
ちょっと引いとく。
長い時間いっしょにいないこともできるんだし。
いい面に共鳴していると あまり悪いとこが出てきはしない。
お互いさまの共鳴だからね。
相手もわたしに共鳴して スキが起こる。

憎むほど嫌いな人は 今はいない。
憎むって大体どんなその人に執着したいの?
執着すると気にする、気に触る、低い周波数をそのまんま浴びること
なってしまう。
たいていの人は、嫌いってゆうよりかは、まぁさみしいだろうなとか
そのカルマずっとやってたいんだな、大変だなって思う。
大変な人は大変をやらないと、先に進めない。
だから大変をやっているのを、そのときはきっと遠くから見てる。
そして「気」にしない。
気になろうとも、気にしない。
そこに執着しすぎると、気になる。
自分が正しい なんてゆう エゴにのみ込まれる。
あの人なんで間違ってるのに気づかないんだろう?なぁんてね。

そして気になり嫌いになると、そこが鏡で映し出されていることを
ついつい忘れる。
そしてわたしも、違うタイミングや人間関係でそれをやる。
例えば被害者意識とかね。
相手のせいにだけするとかね。
お金を介在させなくていいタイミングで人のお金のことが気になったり。

執着は、ほとんど何も生み出さない。
わたしの正しさが入っている。
正しさは エゴの巧妙な手口のひとつだ。

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擬宝珠:ギボウシ、このカタチがスキだ。
でもこのカタチに執着しすぎるとどうなるか。

全部が、この擬宝珠がいい!
あなたもこの擬宝珠スキになって。
この擬宝珠じゃなきゃかっこよくない。
擬宝珠しかスキにならない。
擬宝珠をスキな、これがわかる人しかスキじゃない。

ほら、なんだかぎすぎす可笑しなことになる。

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こんな人がとてもタイプだ。こんな感じのスタイルの人がスキだ。
でもこのタイプに執着するとどうなるか。

わたしの周りの人全員がこのタイプがいい!
こんなタイプの人、あなたもスキになって?
このタイプじゃなきゃ、イケテナイよ、友だちじゃないよ。
このタイプをスキな人しか、友だちにはなれないなぁ。

ほら、ぎすぎすしてる。
恐ろしいくらい。

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この絵は、わたしがスキな友だちのおうちの壁に貼って在ったもの。

この絵がスキだ。

そしてこの絵を貼ってある友だちの感覚もわたしはスキ。

そんなスキな友だちがたくさんいる。

友だちもわたしを映し出してくれる鏡。

鏡の関係は負の部分を言われることが多々ある。

友だちに見えた嫌な部分は自分も持っている。

まぁその通りなんだろうけど。

いい部分を言えば

友だちのステキだな、いいなぁ、スキだなぁと

思う部分はわたしにも写し出されて持っている部分。

でもそれを自己承認できないと、

「あの子はああゆうとこがあって羨ましい」となる。

そう、あの子のいいとこはわたしにもあるんだ。

あの子ができるから きっとわたしもできる。

あぁほら見つけた、あの子が映し出してくれた

わたしのこのステキさ。

そこだけ、受けとる。

受けとめる。

腑に落とす。

そうすると 出逢う人、友だちすべてがありがたく輝き出す。

そうその輝きは わたしの輝きと おんなじだもの。

おんなじもの、見せてくれてありがとう。

輝きを見せてくれてありがとう。

あなたのことスキだよ、わたしのこともとてもスキ。

あなたと出逢えて ほんとうによかった。

そんなんの連続。

スキの魔法。

ありがとう!
おめでとう!
祝福を!


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