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サードプレイスでのセルフマネジメントについての散文

#サードプレイス について記事を書く。この連休は、こんな宿題があって、昨日はサードプレイスをつくるきっかけとなった話を書いた。

昨日の記事をもとに、原稿を作ってみたが何か違う。今回のオファー元は、サードプレイスの拠点のある地域の大学教授と地域活動有志の制作しているローカル誌だ。地域にサードプレイスがある事の意義的なものが求められているように思う。

昨日私が書いた記事は、私的な日記であり、私の愚痴と夢でしかないことに気づいた。安定の #ポンコツ  ぶりだ。

気を取り直して、サードプレイスについて思うままに書いてみる。

サードプレイスは、自宅、職場に続く第三の居場所だ。居場所である限りは、自分が存在しても良いと言う場である必要がある。そこにいて良いと自他ともに思えるためには、何らかの貢献が必要である。

貢献といっても、何かを必ずしなければならないわけではなく、時には「そこにいてくれる」それが大事な場面もある。逆に、何らかの役割を持って、周囲からもある程度の「働き」を期待される場面もある。ただ、サードプレイスの場合、これらの期待は往々にして「ゆるい」。これを #ゆるやかなつながり と、表現することがある。

私が関わっているサードプレイスは、#コミュニティビジネス の #中間支援組織 だ。ゆるやかなつながりを標榜しつつも、ビジネス的な側面からは、活動への対価を得る事と社会的責任が伴うが、その塩梅は、個人の規範に委ねられる。個人の規範はそれぞれの価値観に左右される。ある人の常識が、他の人の常識であるとは限らない。個人から個人事業主へ変わるとき、ある程度のルールの共通認識が必要だ。それらを示すのが中間支援組織の役割の一つでもある。

我々のサードプレイスの活動条件のひとつは、活動を楽しむことだ。自分も他者も活動を楽しむための環境は、自分で整える必要がある。何をするにも気分よくやることに越したことはない。出入り自由なサードプレイスだ。自分が気分よく過ごせぬ場所ならば、その場から去る自由がある。自らそこで活動していく選択をしていると意識した時、活動が #自分ごと となり、あらゆる環境の調整力や、自分の気分をマネジメントするスキルが身につく。

外的報酬と内的報酬というものがある。金銭的対価は外的報酬だ。内的報酬は、自分自身がやりがいを感じたり、他者から「ありがとう」と感謝の言葉を受けて喜びを感じたりすることだ。

「ありがとう」は魂のごちそうだ。

ありがとうの反対語はあたりまえ。あたりまえでなく、有難いと感謝を述べるその時に、言う側も言われる側も共に、心に温かい火が灯る。

サードプレイスでは「ありがとう」が飛び交う場所でありたい。

コミュニティビジネスでは、自分のつよみを使って、地域に必要とされる商売を考えることだ。自分の #つよみ とは、自分には簡単だが、他者には難しく感じるものだ。自分が楽にできることで、地域で「ありがとう」と言ってもらえる仕事を作る。その仕事を続けると、地域の課題が解決されていく。それがコミュニティビジネスだ。

自分のつよみを使って、地域で喜ばれ、経済が回る。こんな素敵なことはない。

自宅でも、職場でもない、出入り自由なサードプレイスは、こんな #きれいごと が大いに通用する場所であって欲しい。

 

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