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蛇紋岩と礫岩層の不整合と慈母観音と石仏群あり金昌寺4番秩父札所
今回は秩父札所4番の金昌寺。
ここも見どころの多いお寺です。もしかしたら、ハイキングコースで立ち寄ったという人もいるかもしれません。
横瀬、芦ヶ久保のほうからのハイキングコースです。
今回は、春に1回、秋に2回行ったことのある金昌寺の秋バージョンです。
紅白の梅の時期に行った時の記事はこちら
冒頭の写真が紅葉がですからね。
1319体の石仏がある金昌寺
盃を頭に乗せて禁酒を誓ったという伝説の酒呑童子、酒呑地蔵です。
ユーモラスなお地蔵様ですよね。紅葉に映えます。
それにしても手には徳利を持っているのだから、もう酒を飲まないという誓いはどこへやらです。
未だにnoteで、写真の順番を変えるやり方がわからないため、写真のとおりに話を勧めます。
酒呑地蔵のそばにあった観音立像が祀られているお堂
酒呑地蔵のそばには観音堂とは別の立像をお祀りしているお堂がありました。
石像ですがこちらはけっこう間近で見ることができます。
観音堂の入口にも石仏が並びます。
金昌寺では、観音立像のような大きなものから中くらいのもの小さな石仏など形も種類もいろいろです。
向かって右側に座像の石仏が並びますが、柱の張り紙に「あぶちゃんはしないで」と書いてありました。なぞの言葉だと思ってました。
そうしたら、よだれかけのことだったのですね。
お地蔵様ではなく石仏だからかな。それも立派な石仏です。
礫岩層と蛇紋層のまわりの石仏群
まったく順不同になっておりますが、金昌寺に入りまして、階段を上がりますと、真正面に大きめの石仏があってそこで二股に分かれます。
左に行くとこちらの礫岩層と蛇紋層の場所にたどり着くことができます。
礫岩層と蛇紋層は不整合になっています。
そこまで行くには、山の奥に行くような道を歩きます。
そちらにもポツポツと石仏が立っています。
お向かいの山からも歩いてこちらに来ることができます。
お向かいには、六角形のお堂があります。下は沢になっています。
こちらがその礫岩層と蛇紋層の不整合がある場所です。
その下に洞穴のようになっていて、そこにも石仏がたくさんあります。
しかし、岩や石のことがよくわからない私にはどこから蛇紋層で、どこから礫岩層なのか、さっぱりです。
それよりも石仏の表情を見ているほうが面白いかも。
どことなく上の石と下の石が違うなと思う程度です。
それよりは石仏が。種類多いですね。
苔むしているところにも石仏が並びます。
そちらは、石が重ねられています。
うーんどうでしょう。
あとで写真がありますが、これらはジオパーク秩父の説明書きがそばにあるので、説明は読むことができますよ。
三波川変成帯の蛇紋岩と礫岩層との不整合なのだそうです。
不整合とは異なる年代の地層が重なっていること
上にある岩と下の礫岩層は年代がかなり違っていて、時代の隔たりがあるということから不整合と呼ばれるそうです。
じっくり不整合をご覧あれ。
ブラタモリ的になりますが。
不整合の場所の近くは、苔むしていて、これまた風情ある場所になっています。
下部が三波川帯の蛇紋岩で、こちらは約8,500万年前から6,500万年前のものです。
その上には秩父盆地の礫岩層で、こちらは約1,500万年前頃となっています。
1319体にも及ぶ石仏は寛永元年(1624年)当時の住職(古仙登嶽和尚)が石造千体仏完治を発願して7年の歳月をかけて成就したものだそうです。
江戸や武州からも寄進があったそうですよ。
石材は秩父盆地西側の岩殿沢から大勢の人の手を経て運ばれ「功徳石」とも呼ばれた凝灰質砂岩(岩殿沢石)だそうです。
岩殿沢とは、あの観音院の岩殿沢のハナモモで有名なところでしょうか。
となると、観音院(札所31番の近くですね)。
不整合だけを見に来たわけではないので、本堂のほうへ戻ります。
途中、古びた石段がありましたが、あえてそちらには行かずに、本堂のほうへと歩きました。
子育て慈母観音が本堂の入口に
紅葉の季節が終わりかけていたのですがなんとか紅葉の美しさがわかるかと。本堂前の写真です。
金昌寺は山の中腹にあるようなお寺なので、まわりは木立があります。
またもや順不同になるのですが、こちらが入口の山門を裏側から撮った写真です。
山門の上にも木彫りの仏様が並んでいるのがわかるでしょうか。
紅葉とともに写真を撮ります。
まったくもって順不同ですが、これが二股の分かれる場所から本堂を写した写真です。
道端にずらりとならぶ石仏群です。
こんなに写真が順番バラバラなのは、一気にアップロードしたからでしょうか。
こちらが枯れ葉とともに写した本堂前の写真です。
慈母観音の姿が見えます。
こちらは本堂のほうから遠くの山と下の住宅地を写したものです。
こちらにも石仏が写っていますね。
この日は途中でレンタサイクルの自転車を返す時間が迫っていたことに気が付き、慌てて西武秩父駅のほうに戻りました。
3時間借りたのですが、けっこうギリギリでした。5分前くらいに返す場所に到着でしたから。
気を取り直して再訪です。
今回は御朱印をいただきます。
心求 はまの道標
これからも何回かご紹介しますが、秩父の札所のまわりには道標として「心求 はまの道標」があります。
道しるべ石と書いてあります。
金昌寺の反対側が恒持神社となっていました。
秩父の山田の春祭りで有名な神社ですが、今年は春祭りが無かったようですね。
これからも機会があったら道しるべ石の写真を乗せていきたいと思っています。
「右三番 左五ばん」と書いているようです。
秩父の札所はこのように「巡礼道」と書いてくれているので、わかりやすいです。なかなか札所で書いてあるのがないのですよ。
秩父の場合、巡礼というのは歩きという前提になって札所会や地元の方々が整備してくれているのでしょう。
山門の大草鞋が出迎えてくれる金昌寺
大わらじも、目を引きますが、山門の上の木彫り仏も気になります。お正月とか山門に登ってみることができるのかしら。
近くで見てみたいですよね。
昭和34年3月20日に埼玉県の指定を受けている石佛群とのこと。
入口には稲荷社もあります。
表には六地蔵も並んでいます。
山門の中には仁王様がいましたよ。
山門を入ってすぐのところに手水舎があって、椿の花と南天の実が飾られていました。
結局は1周回ることになるのですが、ここで右と左に分かれます。
礫岩層の不整合を見に行きたいなら、左へ。
観音堂にすぐ行きたいなら、右へ進みます。
亀之子地蔵尊
上野の寛永寺や品川区の品川寺にあるような亀の像です。
ただし、こちらはお地蔵様が上に乗っています。
亀の子地蔵尊です。
荒木丹下の金昌寺です。
悪人荒木丹下、観音菩薩が娘巡礼に姿を変えて改心させたという縁起に基づいた奉納額絵です。
奉納額絵に気が取られますが、そのそばの欄間の彫刻もいいですね。
馬?獏?が飛んでいます。
荒舩清十郎氏の石碑が立っている前の道を通ると、奥の院への入口になります。
ここの階段を登っていくと六角形のお堂があります。
御詠歌のような額が飾ってあって、そちらにも観音像がありました。
「施無畏」の文字が見えます。観世音菩薩のことですね。
子育観音(慈母観音)は、寄進者の妻と子を描いて作ったものだそうです。
その手前には奪衣婆でしょうか。
何度も書きますが、写真をアップしたら、順不同になってしまっています。
そのため先程の御詠歌らしき額の次にこの写真がくれば、額のところにあるのが観音像だとわかるかと。
それにしてもこの観音様はかわいい感じがします。
またもや写真が順番がめちゃくちゃなので、奥の院です。
奥の院から見た外界、といいますか。山や畑ですね。
奥の院のところから眺めがいいので、晴れた日に行きましたら見て下さい。
実はここは芦ヶ久保のほうからずっと続くハイキングコースです。
芦ヶ久保方面にある、県民の森、野外活動センターまで続く道です。
県民の森からはここ金昌寺まで2時間以上歩くのかな。
芦ヶ久保駅からも県民の森はかなり距離があります。夏に行くのがいいでしょうね。木陰で涼しそうです。
私はハイキングコースに行ってしまったら、帰ってこれなくなるので、その奥の道を通って、奥の院から不整合の場所のほうへ向かっていきます。
ハイキングコースの案内板があるほうから不整合のそばにある石仏群を写真に収めます。
遠くからみるときれいに並んでいることがわかります。
奥の院の上にはお墓の場所になっていて、少しだけ行ってみました。
奥の院の屋根を見たくて。
行ってみましたら、椿が咲いていたことに気が付きました。
晴れた日は、このようないい眺めが楽しめます。今は秋の光景ですが、春なんかのどかでいいでしょうね。
ということで、一回りするために不整合のところへと向かっていきます。
その手前の石仏がずらりと並んでいるところです。
再度、日を変えて礫岩層と蛇紋岩の不整合です。
前回来たときよりも、なんとなくここで不整合になっているのだろうなというところがわかったような気がします。
斜めになっている岩と下の地層が違うと思うのですよ。
タモリのような人が見たら、すぐさま指摘できるのでしょうけどね。
地層に興味がある人には、おすすめの場所です。
ということで、ぐるりと一周まわりました。
石仏の奥の山のほうに見えるのが奥の院の屋根です。
大きな石碑に、荒舩たけ氏が土地など寄進したことが書いてありました。
札所5番に行く途中に荒舩医院がありました。ここ一帯におそらく荒舩氏の一族が多いかと。
私は子どもの頃、荒舩清十郎氏が政治家だったのをうっすら覚えています。運輸大臣までやりましたからね。
「この札所は、埼玉県指定民族資料石仏群のあることで広く知られ、本堂は四間四面、唐風の江戸中期の建築であります。本尊は十一面観世音立像で高さ一〇七糎室町時代の作でありますが、寺伝によると行基菩薩作と伝えられております。宝永年間より江戸、北陸、山陰、三陵を問わず全国的に分布する信者により菩薩供養(主に水子供養)のため奉納された石仏が現在一三〇〇余体ありますが、その主体は寛政年間になっており中でも、子育観音の石仏は宋朝様の形式をおびて人の目をうばいます」
光って少し読みにくいのですが、読めるところを書いておきます。
「その昔この地に荒木丹下という怪貪者がおりました。ある日、旅の巡礼が食を乞うておりましたところ神国の米を仏に供するいわれはないと打ちいためられました。娘は、「人は神の末なり。又人なるを踏みたたくは神を踏むにも同じ。神は皇親の心を教え仏は自他平等を唱えた」とねんごろに説けばついに、丹下志を改め自から入道となって孝行供養に専心したと云う縁起があります」
納経所には、慈母観音の手ぬぐいなどがありました。
面白いのがくるみを利用した手のマッサージですね。地元のくるみも売っていました。
観音様のお姿は、すでに購入していたので、今回は子育観世音こと、慈母観音のお姿も買っておきました。
入口の手前の新木開運稲荷神社
蛇のようなしめ縄が面白いなと写真を撮っておきました。
きつねさまの表情もいいですね。
伏見稲荷の分霊だそうです。
それにしても、写真の順番が乱れてしまって、どう直せばいいのかわからないまま書いてしまいました。
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