ノート用梅

運転免許を諦められないアルビノの話

高校では、進路が決まった人から運転免許の教習所に行っていいことになっていた。どこの高校でもありふれたルールだろう。

国公立受験組の私は、そもそも卒業式の時点ですら合格発表がまだで、進路が決まっていないので、それには関係なかった。

それだけではなく、私はアルビノで、弱視で、運転免許の必須要件である視力0.7以上に満たないからたとえ私がその時期に進路が決まっていたって、運転免許の教習所なんてところにはお世話になりようがないのだ。

私は疎外感を感じたのだろうか、いや、多分、今まで勉強は皆と同じようにできてきたから、突如、弱視者としての現実を突きつけられて困惑し、戸惑ったのだろう。(私は視覚障碍者手帳を取れるほどの視力ではないので、ここでは視覚障害者とは表現しない)

単純に、暮らしが不便

育ったのは地方都市なので、どこに行くにも、基本的に親の車に乗せてもらって育った。

スーパー、ごはん屋さん、ショッピングモール、それらすべてがバスや電車で行くより車で行く方が便利な場所に存在していた。

親の車があるのが当たり前の生活だった。

親が買い物に連れて行ってくれる。たまに自分で模試を受けに行く時や通学などはバスだったけど、大雨の日や雪の日は親と学校前や学校の近くの本屋で待ち合わせした。

要するに、親の車ありき、の生活だったのだ。

だからそんなに不便ではなかったけれど、親元を離れると事情は一変した。

親元を離れて行った先も、地方都市だったのだ。

私は運転免許を持っていないし、まさか買い物の度に人に車を出してもらうわけにもいかないし、重い食材を買って、自転車で帰ってこなくてはならない。

それだけではない。

ちょっと駅を離れたところにある美味しいラーメン屋さんにも行けなくなるのだ。

親の車があった頃は違った。

車で行くのだから、どうやって行くか、など問題にせずにグルメ特集を見て、おいしそうだね、今度の休みに行くか、なんてことをやっていた。

もうそんなことはできなかった。

駅から近い、もしくはバス停から近いところにしか行けない。

単純に生活が不便になった。

交通の不便な地方都市で、運転免許がなく暮らすということは、とても不便である。自転車があっても雨が降れば自転車は使えなくなる。

車がない、車に乗れないということは本当につらいのだ。

乗せてもらうだけで、申し訳ない

大学が地方都市だったから、車で通学しているという人もそれほど珍しくなくて、そういう人達と仲良くなって、ちょっと遠いカフェに行こうか、という話になったことがある。

楽しそうだ、と思い私も誘ってもらえたのでそこに参加したわけだが、何だか本当に申し訳なくて、帰りは一人落ちこんでいた。

車2台に分乗して行ったのだが、運転免許のない私は当然乗っているだけになる。

弱視だから、目印も人より後に見える。道案内の役にも立ちはしない。

惨めだった。

他の子達は運転免許を持っているし、見えるから道案内もできる。

私には何もできない。

ただ、乗せてもらっているだけ。

それを承知で誘ってくれているのなんてわかっていたし、その人達が悪いなんてことはない。

ただ私が親でもない人達に一方的に頼る状況になるのが怖くて辛くて惨めだっただけの話だ。

今は、気を許せる友人にどこか行こうよと声をかけることはできるようになってきた。

それでも、あの日の惨めさが消えてくれない

運転免許が取れれば味わわなくてすんだはずの惨めさが、今も私の中に残っているのだ。

だからこそ、諦められなくて

運転免許があるということは、また車があるということは、一人でどこへでも行けるということであると思う。

私にはその手段がないのだ。

アルビノで、弱視だから。

それは車がある人が想像するより遥かに不便でやりにくい生活だ。

それだけでなく、好きに動けないということはとてもストレスだ。

通院している病院で、駐車券のことを聞かれる度に少しいらっとしてしまう程に。

だから諦められない。

私だって駅から離れた美味しいカフェとかラーメン屋さんに一人で行きたい。

気が向いた時にすっと出かけたい。

そんな小さなことが運転免許がないから叶わない。

人に乗せてもらうか電車かバスか、といった具合なのである。

近い将来自動運転が実装されるとは言うけれど、それっていつなんだと気が急いてしまう。

弱視でも運転できるようになればいいのにと願っている。

それか、私の眼が治るか、なんだけど、治るのと自動運転、どちらの実現が早いだろうか。

運転免許はやはり諦められない、一人のアルビノの話。

執筆のための資料代にさせていただきます。