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アルビノと黒染め~雁屋優~

アルビノ(眼皮膚白皮症)とは遺伝疾患である。
症状としては、髪や目の色素が薄いまたは全くない、弱視をはじめとした眼の症状、肌が紫外線に弱いことなどが挙げられる。
症状には個人差があり、私雁屋のように、金髪の人もいれば、髪の真っ白い方もいる。

参考:難病情報センター
http://www.nanbyou.or.jp/entry/4492

2019年1月、「Abema Prime」というテレビ番組に、アルビノ当事者の神原由佳さんと、NPO法人「マイフェイス・マイスタイル」の代表をつとめる外川浩子さんが出演した。
その際、アルビノの人の就職やアルバイトにおいて髪の色を理由に断られることが多いとあり、それはアルビノ当事者である雁屋にも経験のあることであった。断られる際によく言われるのが、「カラーコードが」、「髪を黒く染めるなら」という言葉だった。

これらのことから、アルビノと黒染めは切っても切れない関係に、現在のところ残念ながらある。この時はまだ黒染めについていろんな人と話したら何かわかるかな、みたいな感じで具体性がなかった。

こちらのツイートを読んだ時に、アルビノ当事者それぞれの黒染めへの価値観や黒染めとの関わり方があるのだろうかと思った。
見た目問題への自身の理解と社会の理解を深めるべく、アルビノ当事者に黒染めについて、話を聞いて記事にしたいと考えた。
それぞれの当事者の黒染めとの話はかなりの確率で、しんどくて、社会のよくない点を自覚させてくるものになるだろうけど、私達が今知るべきなのは、伝えていくべきなのは、そういう事実ではないだろうか。

他の当事者の方にインタビューして記事にする前に、まずは私、雁屋優自身のことを明らかにしておかねばならない。

そんなわけで、私、雁屋優自身と黒染めの話を書いていく。

自分の色を何の疑いもなく好きでいられた小学校時代

小学校時代、年度始まりに学級写真を撮るという文化があった。
その日はできるだけ来てね、と言われ、ちょっといい服を選んで着て行ったのを覚えている。
そこで黒髪の子ども達が並んでいるなか、私は一人金髪……と落ちこむようなことはなかった。そもそも元々他人のことが気にならない子どもだったのだが。
金髪の子どもはその学年に私一人ではなかった。
幸運にもアルビノの子がもう一人いたという話ではなく、染めている子がいたのだ。
ダンスをやっている子だったと思う。
クラスに二人、金髪の子どもがいる。
クラス替えでその子と一緒になると、金髪は私一人ではなくなった。

周りの親からは白い目で見られていたその子のことを、今も覚えている。
私のは地毛だからよくて、染めているからあの子のはいけないらしい
そんなことを大人達の様子から察していた私に、そんなことはない、と今なら言える。
だって、私はその子の発した言葉に確実に救われたのだから。
(髪の色が)お揃いだね
と、たった一言。
それからは、集会で列で並んでも集合写真を撮っても金髪は私一人じゃない、とどこか安心できた。

それだけではない。
髪が黒くないことや肌が白いことで、「外人」と言ってくる子どももいたが、それ以上に「いいなあ」とか「きれいだね」と言ってくれる子どもも大人もいた。
この色でよかった、と素直にそう思って小学校時代が終わろうとしていた。

好戦的な母と、中学校

私が入学を予定していた中学校は、校則がそこそこ厳しいと聞いていた。
通っていた身内がいたので、その状況が詳細にわかった。その意味では身内に大変感謝している。
地毛で髪が茶色の生徒が「染めてるんじゃないか」と教師に疑われ、心ない言葉を投げつけられ、親が出て行く事態になったという話もあった。
そんな話を聞いての、入学前の面談である。
この面談はアルビノで弱視の私のために、特別に行われたものだった。
学年主任の先生と、母と、私。生徒のいない学校は静まり返っていた。

身内が既に通っているので、母は先生の顔もそれなりに知っていた。
何を話すんだろう、やはり髪のことで何か言われるのかな、と思っていたが、髪のことは何も言われなかった。
小学校でやっていたように座席の配慮、そして必要ならテストの問題の拡大、などなどやっていきますね、というお話だった。穏やかに話が進んでいった。

「ところで、この髪は染めろとか言われたりしませんよね?」

と、母が問う、その瞬間だけは場の穏やかさが吹っ飛んだ気がした。
母に対し複雑な思いのある私だが、こういう好戦的なところは私は母に似たと思う。
私が黒染めを初めて認識したのはこの場になるのだろう。

「明らかに地毛の生徒さんにそんなことは言いませんよ」

大丈夫ですよ、お母さん――そんな言葉も、くっついていたかもしれないが、そこまでは覚えていない。

実際、入ってみるとその言葉通りであった。
頭髪検査で当然のように私はスルーされ、地毛が少し茶色の子は毎回残された。教師に警戒されている、という空気が漂っていた。
私は特別扱いで、警戒の外にいられた。そういう空気だった。

この状況は、高校に入っても変わらなかった。

それで、「ずるい」などと他の生徒から言われることもなかった。
中学までは「外人」と貶す生徒もいたけど、高校ではそんな生徒もいなかった。
「いい色だよね」と褒められて、多少の違和感はあれど、自分の色を誇りに思っていた

黒染めはしない、そう決めて電話をかけまくった

高校を卒業し、大学生になり、アルバイトを始めようとして、髪の色について意識するようになる。
アルバイトをしようと思って電話をかけても、弱視であることや金髪であることを伝えると、「そういう人が来ることを想定していない」、「モールのカラーコードがある」、「黒染めするなら雇える」と言われるのだった。

それでも私は黒染めは絶対にしないと心に決めていた。
これまでに培ってきた誇りに思えるいい色を何故そんなこと(アルバイト)のためにお金をかけて髪を痛めつけて染めなければならないんだと思っていた。
何より不平等だと思った
普通の人は染める手間もお金も、何のコストもかけずに履歴書と面接だけで受かる。
私が同じところに受かるには、お金をかけて美容室に行ったり染料を買ったりとコストをかけて染めなくては受からない。

絶対に黒染めしてなるものか。

そう決めてひたすら電話をかけまくった。正直、髪が黒ければ払わなくていいコストかもしれないが、それでも、染めるのは嫌だった。
何かを侵される気がしたから、絶対に染めなかった。
居酒屋のドリンク作り、塾講師、整骨院の受付などいろいろやった。
一番よかったと思えるのは知り合いの会社で繁忙期の雑用(支店へ送るキャンペーンのノベルティの仕分け、DMの仕分け、データ入力、等々)をさせてもらった時だった。
知り合いの会社だからアルビノであることも、それ故の弱視も髪の色も、全部把握されていて、仕事はきっちりする子だと思って誘ってくれたのだった。
ここでは、髪の色が黒くなくても大丈夫。
そんな安心感があった。

黒染めはしない。

その後の就活でも、私は黒染めをすることはなかった。
私が面倒くさがりなので、黒染めなんて絶対に続かないと思ったのと、黒染めをしなければ入れないような会社には入っても働き続けられないと思ったからだ。

たとえ黒染めをしてどうにか会社に入ったとしても、私は弱視でもあるので、アルビノであることを隠して働くことはできない。
その時に黒染めでなければ入れない会社は、弱視に対してきちんと配慮をしてくれるだろうか。
いや、してくれない気がする。
それではそこで働き続けられない。
就活では私達就活生の側からも企業を選んでいかなきゃならないのだ。
働き続けられる企業を、よりよい生活のために。
となると、黒染めして受かるのは違う気がする。

黒染めの何が嫌なのか

正直これは自分でも最近までよくわからなかった。
自分の髪が黒かったらどんな顔になるだろうという想像を、したことがないわけではなかった。
それでも、アルバイトに受かるために、もしくは就職するために、髪を染めるのが嫌だ。
嫌だから、それをせずにできるアルバイトを見つけたし、就職もそういう風にした。
1月の番組で、マイフェイス・マイスタイルの外川さんの話を聞き、ようやくその「黒染めが嫌」の正体に至った。

黒染めが嫌なんじゃない。私の髪の色の決定権が他人に渡るのが許せないのだ。

番組で、外川さんは「見た目を変えるか決めるのは当人だ」とおっしゃっていた。
私は、自分の髪の色をアルバイト先や就職先に決められたくはない。
その決定権はいつも私にあるべきなのだ。

雁屋優自身の話は以上になる。
次回からは、他のアルビノの当事者達に黒染めのことをインタビューしていく。

執筆のための資料代にさせていただきます。