今だからこそ、一人になりたい。

人と繋がりたい、と声が聞こえてくる。SNSで見られるZoom飲みなんかその最たるものだろう。こんなになっても、手段を変えてまで、人は繋がりたがっている。

理解できるようで理解できない。私は今人との関わりを強いられる生活をしている。ひとつ屋根の下には血の繋がった他人がいるし、月曜の朝には出勤しなければならない。その関わりは手放したくてたまらないものだ。

その一方で、友人は遠くに住んでいて、ずっと会えていない。望まない人間関係を生け贄に望む人間関係を手繰り寄せることができる錬金術があったらそうするだろう。そこに迷いはない。

手放したいものが手に入れたいものと同価値かは怪しいので、手放したいものの他に何かを犠牲にしなければならないかもしれないけれど、それでも私はやるんだろう。

月曜の朝に向かう職場では、私は笑顔だ。マスクをつけて、マスクの下でいろいろなことを考えながら、目と声だけで笑う。それはそこの人が好きだからではない。

嫌いではないけれど、好きでもない。どうでもいいと心から思っている。無関心を向ける相手に笑うのは、単にその方が自分にとって楽になるとわかっているから。例えば休みやすくなるとか、ね。

でも、思ってもいない「そうなんですか~」も「そうですね~」も「ありがとうございます~」も疲れるものだ。だけど、バレてはいけないことがあるから、そうする。

本当に思ったことと必要なことしか話さないようにしたら、私はあの人達に言いたいことなんてない。何もない。文句があるのでも不満があるのでもなく、何もない。

そこに無が横たわっていることに気づかれてしまっては厄介だ。だから必死に何かあるふりをする。お給料をもらう期間の過ごしやすさのために。

本当は、一人になりたい。SlackやTwitterをはじめとしたツールだけで他人と繋がり、リアルに会うのは本当に会いたい数人だけでいい。

血の繋がった他人も、職場の人達もいらない。友人だけが、必要だ。

職場の人達について言及しておくと、少し偏っている人もいるけど、皆私が楽に働くためには欠かせない善人だ。けれど、私は彼らを求めていない。彼らよりも画面の文字を追いたい。それだけの話だ。

自宅待機で補償の出る人が心底羨ましい。でも、自宅にも自宅で、血の繋がった他人がいる。それもそれで面倒くさい。配慮してくれて優しい職場の人達の方がずっとずっといい。

悪く言っているのではない。ただ、月曜の朝、歩いていて会いたい人の顔が思い浮かばないだけ。マイナスではなく、ゼロなだけ。

ゼロはいともたやすくいろんなものに負ける。それだけなんだ。

私は、一人になりたい。

執筆のための資料代にさせていただきます。