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共感はいらない。ただ自分にはわからないことを自覚して欲しい。

Twitterで見た目問題の当事者である子どもと非当事者の親の関係性についてツイートしている方がいて、それをきっかけに、私が親にしてほしかったことを考えてみることにした。

家を建てるときに階段の色を交互にして見やすくしてくれた親ではあるけれど、既に書いている通り、問題がないわけではない。むしろ大ありだ。

してもらえなかったことというのはたくさんあって、今でも恨みに思っていることもある。

これを親への恨みで書いたっていいのだが、ユニークフェイスや見た目問題の当事者である子をもつ親御さんのヒントになった方がきっと世界には幸せが増える。親への恨みも需要がなくてもいつか書くのでお楽しみに。

私が自らの経験を踏まえて、親御さんに言いたいことはただ一つ。

共感はいらない。ただ自分にはわからないことを自覚して欲しい。

これに尽きる。

親というのはたしかに子どもにとって一番身近な存在であるが、あくまで他人であるし、当事者本人にはなりえないということだ。

親はたしかに当事者の子どもと歩いていて、見られたりすることで視線を疑似体験するかもしれない。でも、子どもと別行動して一人のときに人からじろじろ見られるわけではない。一人きりのときに視線が襲ってくる感覚は当事者である子どもにしか、わからないのだ。

親は当事者ではないから、アルバイトを断られた経験もなければ、街で視線に晒された経験もない。親でありながら、子どもの苦労をわからない。その自覚をもっていて欲しい。

決してわかるなんて思わないで欲しい。「わかる」とか、「そんなの大したことない」とか言われた瞬間に私は心を閉ざしたから。

何度でも言います。親でありながら当事者ではないから、子どもの苦労や困難を本当に理解することなんて、きっとない。そう自覚した上で、子どもの話を聞いてみてください。

あなたの子どもの現実は、残念ながらあなたの現実とは違う。そのことを、忘れないで。

執筆のための資料代にさせていただきます。