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明日アルビノがなくなるとしたら、私はどうするだろうか。

これまでも問われる質問ではあった。

「普通(の顔)になれる手術があったら受けますか?」

という質問が見た目問題関連のイベントで出たのも記憶に新しい。

詳しくはこちらの記事を読んで欲しい。

アルビノの神原由佳さんをはじめとする見た目問題当事者がいろんな質問に答えたり、交流したりするイベントだった。

その記事を読んだ時の私の答えは一つ。

「アルビノの外見を変える手術はうけないけれど、視覚障害を治す手術なら受ける」

そんな私はこんな記事も書いている。

要するに目がよくなりたいし頭よくなりたいし、だからゲノム編集だってiPS細胞だって大歓迎……! という感想を綴っている。

私は一人のアルビノとしてデザイナーベビーには一部賛成だ。一部、というのは何をデザインしていいのかを国が決めて、デザインされずに生まれてくる子どもというのをなくさなければいけないと考えているからだ。そうしなければ、格差の再生産になってしまう。

デザインして生まれてこないようにすべきとされた遺伝疾患の人達はつらいだろう。私もそうなる可能性があるのだから他人事ではない。つらいと思う。

でも、デザイナーベビーが許されなかったとしたら、病気にならない身体で生んであげられる技術があるのに、敢えてそうしないことになる。自ら経験したつらさを次世代に背負わせていいのか? とも思う。アルビノは弱視を伴う。現状治療しきれない疾患だ。疾患になるとわかっていて、何の手も施さないなんて、それは違うだろうと思う。

そうやってデザイナーベビーが当たり前になった時、私の老後にはアルビノの人がいないかもしれない。それはそれで、寂しい。でも、つらい思いをする人も減っているんじゃないかと思う。

明日アルビノがなくなるとしたら、きっと私は少し寂しいけども、苦しむ人を減らすには仕方ないよねって納得するんだろう。

執筆のための資料代にさせていただきます。