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不登校だった私の厄介で大事な性質

今でこそボーカリストとか、ボーカルトレーナーだとか言ってそこそこ派手に(?)活動している私ですが、今の自分に至るまでは悩みとコンプレックスの塊でした。特に学生時代は不登校でまともに学校に行けず、クラスにも馴染めず、最終的には通信制の学校に転校するほど。(とはいえ転校前の学校にも、転校後の学校にも、どちらともに今は感謝しています)

あの頃、自分はまともな大人として生きてはいけないと思っていたし、いつも「社会不適合」という言葉が頭の隅をチラついていました。こういう話をすると現在の友人知人は「うそ〜」とびっくりします。どうやら私のことを「前向きでバイタリティのある人間」と思ってくださってるようです、なんとまあ。
いやいや、当時の私は自分に人生を生き抜くバイタリティなんて微塵もないと思っていました。

今になって「なぜ自分が学校生活に馴染めなかったのか?」を考えると、大きな二つの要因があるなあと。

一つは、とにかく集団行動が苦手だったということ。「みんなと同じようにやりなさい」がうまくできなかったのです。
みんなで同じことをやると必ず競争が生まれますが、私はとにかく競争に対するストレスがすごかった。負けることもストレスだったし、勝とうとするプレッシャーもストレスでした。一度でも勝つと勝ち続けないと価値がないように思い込んでしまうようなところもあり、それがいきすぎるとむしろ完全停止、競争どころか全てを放棄してしまう、というタイプだったんです。

例えば、よーいどん!で走り出して、一位になると抜かれるのが怖くて不安になる。
逆に遅れをとるとその状況がつらい。
こんなに怖い思いをするなら、このまま人より遅れながら不恰好に走るくらいなら、いっそ止まってしまおうと足を止めてしまう、みたいな感じ。

進学校に通っていた私にとってその「足を止める」という行為が「不登校」でした。ある日、学校を休んだことをきっかけに、再度学校に登校することができなくなってしまいました。

それと、もう一つ。私は誰かに決められたことに従う、というのがとにかく苦手でした。
たとえば1日のスケジュール。朝の7時に起きるとして、自分で「7時に起きよう!」と決める分には何のストレスもないのです。が、誰かに「7時に起きなさい」と言われた途端、それができなくなります。
今なら思うのですが、例えば8時に出発しないと学校に間に合わないとして……、
「8時半に学校につくためには、8時に出発する必要があるので、7時に起きてみたらどう?」と言われていたらストレスではなかったのかも。
ですが「8時半に学校につくために、8時に出発しないといけないから、7時に起きなさい」と、こう言われた途端、言われなくても自分で思ってしまった途端に「決められた通り動かないといけない」というストレスとプレッシャーで気分が暗くなってしまいました。
なので、とにかく!辛かったのが修学旅行や泊まりの行事です。旅のしおりに、すでに守らなければならない行程や時間の取り決めがたんまり。旅は楽しみなはずなのに、しおりを見るたびに気が重くなっていました。
でも今大勢で旅行にいくなら、むしろ自分で細かくしおりを作ってしまうかも笑

同じ内容でも、自分で決めたことかどうか、で私にとっては全く正反対の事象になってしまうのでした。

その他にも色々要因はありましたが、当時の私は、そういったストレスの積み重ねの結果、学校に行くのが辛くなってしまったような感じでした。

大人になるまでの過程で、この厄介な性質には何度も苦しまされました。
受け入れたり、嫌になったりの繰り返し。強みに思えることもあれば、どうしようもないダメな部分のように思える日もありました。
それはいつも環境によって変わったし、自分の体調やサイクルによっても変化しました。
びっくりするくらい落ち込んだり、逆に調子にのったり、そういう波を何度も乗りこなして、気づけばその波が少しずつ穏やかになってきて、
徐々に自分の性質を許せる、許してもらえる生き方が見つかって、
自分の性質を認めてもらえる、価値を感じてもらえる生き方も少しずつ見つかってきました。

散々苦しまされてきて、親にも心配をかけたこの性質ですが、
今なら、みんなと同じことをできないというのは、人と違う角度で物事に挑めるという特性だったのでは?と思えますし、
他人に決められるとストレスになるのは、逆に自分で決めるのが大好きな主体的な性格の現れだったのかも?なんて思います。
この性質が音楽の仕事に就けた原動力でもあるような気がしています。

ボーカルレッスンをしていると時々生徒さんや親御さんから相談されることがあります。
「私、学校に行けてなくて」「うちの子、学校に行けてなくて」と。私や私の家族がそうだったように生徒さんも親御さんもこの先が不安だろうな、と思います。
でもそういう風に不安を抱えている子も、だからこそその子しか歌えない歌が歌えることがあったりするし、その子に見えている景色を他の人に伝えることに意味があるかもしれないし、同じ不安を持った仲間がそれをどこかで待っているかもしれない。
音楽やレッスンでその子の不安を取り払う、なんて大それたことは一切考えていないんですが、せめてそういうことだけは伝えられたらいいなあと思ったりしています。
今は不安のタネになっている自分の性質も、裏返せばかけがえない価値で財産だったりします。いつか自分自身をちゃんと理解できたら、受け入れて大事に思える時もくるだろうし、そういう実例があるということだけでも知っていてほしいなと。

もちろん、これからも環境が変わればこの性質は弱点にもなるだろうし、悩まされることが全くないわけではないと思います。
でもこの厄介な性質が私が私である価値だし、全ての物事に対する原動力だという思いで前向きに生きていきたいところ。
生徒の皆さんもそういう気持ちにいつかなってくれたらいいなと思います。

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