喜びを出せば出すほど満たされる
我ながら、喜怒哀楽の表現が本当に豊かになったと自負している。
もともと、わたしの中で感情表現が大きく動いているのだけれど、幼少期〜子供の頃は特に外側に表現するのが得意ではなかった。
大人になってからはどうかと言えば、声楽からオペラを学ぶようになり、更には実際に大きな舞台に立って役柄を通して自分自身を出すようになっても、自分が感じている感情を外に表現するということは、わたしの中で常に課題だった。
天才的に上手く出来る人、素の自分を通して難なくこなせる人、思いっきり変身する人、研究して努力型の人などなど、色んなパターンがあるが、今思えばわたしはそもそも自分自身の心が解っていなかったように思う。
歌だけでなく、自分という人間(魂)と向き合い、自分の中心軸が定まってきた頃に、自分の感情も把握できて、舞台上で難なく役柄の気持ちや表現が出せるようになってきたと実感している。
更に驚くことに、全てを出せるようになったのはパートナーと出逢ってからだ。
過去のことを思い返せば、決してそんな風には表現できなかった。
不思議なことに、彼にはどんな気持ちも正直に伝えることが出来るし、
「こう言ったらどう思われるだろうか。。」など考えたことが無いに等しい。
たまに腹の虫の居処が悪いと、ピリッとお互い反応してしまうこともあるけれど、お互いを尊重し合った上で全てを出し合って共有している。
それが安心して出来る相手だからこそ、わたしは楽しい時や嬉しい時、美味しいものを食べて幸せな時など、感情が溢れてテンション高めで言葉を発することが自然と出来てしまう。
それを自然と出来る相手がわたしにとっては最愛の人だった。
これは「絶対そうだ」と言うつもりも無いけれど、わたしの中で実感したことは、【無邪気に色んな感情を出せる相手はベストパートナーである】と言うこと。
もちろん、気持ちが上がった時も下がった時も、どちららも。
それを受け入れ合える相手は、絆も深まる。
また、喜びを出せば出すほど愛が満ちてくるのも実証済み◎
やっぱり愛する人の喜ぶ顔が見れるのって嬉しいもの。
それは性別関係なく、そうだと思う。
「そうしなきゃ〜」ではなくて、あくまで自然とやってしまうこと。
それは、わたしがわたしらしく在ると言うことが基本にある。
そして、嬉しい時はめいっぱい喜ぶことで自分自身が満たされる。
相手からしてみれば、幸せに包まれた空気を纏う人は心地よいし、自分も嬉しくなるもの。
ただただ、その循環なんだよね。
先ずは、自分で在ること。
遊びの中で、めいっぱい喜びの循環を感じた今夏。
(写真は、その思い出!)
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