通り過ぎてきたもの、立ち止まる時。
体調の良い日は、散歩に出るようになりました。
娘に声をかけて、一緒に歩きます。
カメラとスマホだけ持って、マスクをしてでかけます。
これまでの私だったら、必ずお財布を持って出ていました。気ままな散歩をするにも、用があって出かける時も、どこかのカフェに立ち寄るのが好きだからです。
「カフェに行きたいなぁー」と、
どっちが大人なのか分からないような、ゴネるような言い方をする私。
とはいえ、そもそも目的が運動不足の解消だし、カフェもやっていないところも多いし、そもそもくつろげる気分ではないわけです。
正しくは、「前みたいに気軽にカフェでくつろぎたいな」という訳になります。
だから潔く、お財布を持たずに、カメラとスマホだけ持って歩きます。
通り過ぎてきたもの、立ち止まる時。
「なんか、木とか花とかばっかり撮ってる」と、
また不満げな言葉を口にしながら、かなり必死でカメラを手にしている私。
いろいろな建物に興味が行くことが多いのですが、このnoteを含めSNSに投稿するかもしれないことを考えると、住んでいる地域がすぐに判ってしまいそうなものはあまり撮りません。
だから結局、木とか花とか、植物ばかり撮っていることが多くなりました。
不満げな言葉になりましたが、いつもなら自転車でシュッと通り過ぎていた道に咲いている花の美しさに、日々惹かれ始めている自分を感じています。
今まで確実にそこにあったもの
けれど通り過ぎていたもの
想像していなかった変化を求められている私たちですが
木や花や草は、何も変わらずそこに生きています。
大切なものを
一つずつ確かめる
そんな気持ちで明日も明後日も、空の下で立ち止まりたいと思います。
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