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思いが空回りする時は、本質から逃げているのかもしれない。

私はHSPだし、全般性不安障害を経験して未だその名残を抱えながら生きています。「敏感さ」というのは他人と比較することは難しいけれど、光や音や匂いといった物理的要素のある面でのインパクトを受けやすいのは判ります。

これらは、自分一人でインパクトを受ければいいだけだし、一過性であることがほとんどなのでやり過ごすしかないと諦めています。

けれど、「心の敏感さ」というのはなかなか切り替えることができなかったりしました。

・・・そう。過去形です。

人の表情や声の音程や強弱に影響を受けやすいので、「◯◯と思われているんじゃないか?」のような発想をすることがよくありました。
年齢もあったのだとは思いますが、この思考はとても疲れるので苦慮していた頃もあります。

HSPでなくとも、こういった思考に陥る方がいるのも承知しています。

私は自分の育った家庭に安心感を覚えずに育ちました。
だからいつも、自分の気持ちは自分の中で悩み解決しようとする癖がありました。

高校を卒業してすぐに家を出て一人暮らしをはじめました。自分一人で何もかも選択できる自由さと同等の、プレッシャーのようなものを自然と感じるようになってしまったのかもしれません。


思いが空回りする時は、
本質から逃げているのかもしれない。

そんな私の思考が変わったのは、ある人の一言でした。

「そんなこと考えても、現実が変わらないんだったら意味ないでしょう?」

文字にすると少し手厳しい印象ですが、どちらかと言えば明確な言葉が心に落ちやすい私には、この一言が今までのプレッシャーを全て埋めてくれたような気持ちになったのです。


この無駄のない、問答無用な一言が自分の中で浸透してから、私は本当に穏やかになりました。

どうでも良い小さな愚痴。ちょっと愚痴ればスッキリするような感情を抱くことはありますが、深く思い悩みすぎることがなくなりました。

なぜならば、私が感情的になっているその時は、自分を大事にしすぎていて、起きている現実が示している本質から眼をそらしている事実を自覚したからです。

考えて変わらない現実は、動いて変えることができる。
動くためには本質を知る。
本質を知るためには、自分を俯瞰して冷静に現実を見ればいい。

ふとした瞬間に降りてくる言葉は、
私の心を、強く、してくれます。

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