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あの狭間に流れた空気の色を、忘れない理由。

幼い頃の記憶の中には、団地の風景が良く出てきます。
大人になった今でも、夢を見ている時のワンシーンの風景は、この団地の風景だったりすることがあります。

結構大きな団地だったと思います。その団地の子供たちのための小学校があるくらいのスケールでしたから。
公園や芝生や木々に囲まれて、遊ぶ場所には困りませんでした。
近くを流れる綾瀬川の土手で、ダンボールをお尻に敷いて、そり遊びのようなものもしました。

小学校2年生でこの団地から引越してしまいましたが、いろんな友達と遊んだ記憶が残っています。その時の何人かの友達の名前もフルネームで覚えていて、どれだけこの団地が私にいろいろな面で良い刺激をくれていたかが分かります。

自分の家に帰る直前、自分の家の棟と隣の棟の間を必ず通ります。5階建の建物の間を、小さな私が毎日のように歩いていました。
今の私が5階建と聞いても、さほど大きな建物は想像しませんが、当時の私にとっての5階建はとてつもなく大きく感じていました。

自分の家は1階でしたから、5階に住んでいる友達をうらやましく思ったりしたこともありました。



あの狭間に流れた空気の色を、忘れない理由。

その「棟と棟の間」を通ると、そこはいつでも不思議な空間だったことを思い出します。

「ひかげはあおくて、ゆうがたはきいろ」

この言葉を口にしながらこの空間を通っていました。
日が差さない時間帯の暗さのようなものが青く見えたのかもしれないし、夕方の西日が黄色に見えていたのかもしれません。

「ひかげはあおくて、ゆうがたはきいろ」

この言葉には、実はフレーズがあって、活字では伝えられない音があります。ちょっと字余り感のあるようなフレーズですが、音があるんです。


私の幼い頃の記憶を一つずつ引き出しから出してみると、映像だけではなく音があることに気づき、たまに匂いまで残っていることがあります。

団地の外れで行われていた、夏祭りで買った綿飴の甘い香りなどがそうです。

映像+音+匂い=強い記憶

もしかしたら大人になってからの方が
記憶を蔑ろにしてきたかもしれない
認識できる感覚をもっと大切にしないといけない

あっという間に、今は過去になってしいまうから

「ひかげはあおくて、ゆうがたはきいろ」
「ひかげはあおくて、ゆうがたはきいろ」

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