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どうせ、忘れてしまうから。

子供の頃の記憶って、たくさん残っていますか?
比較できるものでもないけれど、友達と話をしていると、ワタシはどちらかといえば覚えている類になるような気がしています。

幼稚園に上がる前の頃の記憶が残っていて、断片的ながらも鮮明にそのシーンや会話を説明できます。

その時の家にあったステレオセットの色やそこから流れる音。
ソファに座る父親に泣きながら抱きついて思いを伝え、諌められた声。
芝生でよたよた歩いていたら、目の前に大きなモンシロチョウが現れたことに驚き泣き出した記憶。

思い起こすと次々に湧いてくるほどです。

もちろんこれは、自分にとって強いインパクトがあった場面を記憶しているだけに過ぎず、他にもあったであろう、親からしたらもっと凄いエピソードについては覚えていないこともあるはずです。


どうせ、忘れてしまうから。


ちょっと斜めな考えかもしれませんが、
「子供の記憶」は親のためのものだと思う時があります。

私の子供たちは、そこまで詳しい幼少期の記憶はないようです。
穏やかに過ごすことができた証明かもしれないし、日々起こる新しいことに気持ちが行ったためかもしれません。

ちょっと残念な気持ちになる反面、あの頃の彼らを知っているのが自分だけだと思うと、希少価値が高まった気がして嬉しくなるのです。

どうせ、忘れてしまうから、
全力で彼らと過ごしてきました。

君たちを連れて歩いた公園も
君たちと一緒に笑った昼下がりも
君たちと見た川沿いの夕暮れも
君たちと大声を出した夕闇も

どうせ、忘れてしまうのなら
この瞬間をしっかり感じて
全力で関わっていこう

限りある時間を
いつか巣立つ彼らと過ごす時間は
とても貴重な時間です。

この一瞬を大切にしないといけない。
どうせ、忘れてしまうから。
どうせ、忘れてしまうから。

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