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つまりはみんな、みとめられたい。

私は普段、テレビを観ない。
一年間のテレビ視聴時間は、5時間にも満たないかもしれない。

理由を聞かれた時には、テレビの時間に自分の行動を合わせたり、録画するのが面倒という、最もらしい理由を口にしていたこともあった。
でも実際は「見たくない、触れたくない情報を目と耳から認識するのが嫌だから」という理由だ。特に、ニュース番組などがそれにあたる。

ネットニュースであれば、深く知りたい情報だけにアクセスすれば良いが、テレビは満遍なく一方的に伝えられてしまうからだ。

全般性不安障害になったことを自覚して、そこから試行錯誤した中で「テレビを観ない」という選択があったのだ。
不安を抱くような情報から、自分を遠ざける必要があった。
今から10年くらい前の話だ。だから、本当に長いこと、テレビを観るという習慣がない。


つまりはみんな、みとめられたい。

10年経って、Youtubeなどのメディアもメジャーになったことで、テレビを観ない人は増えたのかもしれない。
メディアが増えるということは、情報入手の選択肢が広がるということだ。面白くもあり、クリエイティブでもあり、迷いの根元にもなりうる気がする。

さまざまなメディアを通して、私がいつも思うのは「みんなが誰かに認められたいと思っている」ということだ。
これは、目立ちたがり屋が多いとかいう意味ではない。

タイトルから厳選したネットニュースを観る。記事を読む。とても非情な事件の容疑者が、裁判で発言した言葉が載っている。読み進める。読み終わる。

そして想像する。もっと早い段階で、事態が改善していたら、こんなことにはならなかったのではと。



さまざまなメディアを通して、
私がいつも思うのは
「みんなが誰かに認められたいと思っている」ということだ。

心温まる言葉の投稿も
心ない言葉の投稿も

がんばっているアイドルの笑顔の映像も
目を伏せたくなるような事件の発端も

どれも皆、根本は「認められたい」がある気がする。
そして、その種類が微妙に違うのだろう。

そうして私も、誰かに認められたいと思っている。
だからこそ、誰かを認めていきたいと思っている。


心で思っているだけじゃダメなんだ。
言葉にして、ちゃんと相手に伝えなきゃ。
つまりはみんな、みとめられたい。






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