不安に色をつける。彩り。
今日、街中で小さい女の子がお母さんに「ママ、マスク。」と言って一生懸命に手渡ししようとしているのを見た。
近くのカフェから出てきたお母さんは、お財布にお釣りを入れながら歩き始めるところだった。小指にこれから付けようとしているマスクがぶら下がっていた。
3歳くらいの女の子だったと思う。やはり小さなマスクをしていた。
優しいなぁ、かわいいなぁ、と思う反面、こんな小さな子でも今の世の中が抱えている問題に対して不安を感じていると思うと少し苦しくなった。
不安というのは、人間が元から持っている思考の種類の一つだ。
不安があるから、さまざまな物が生まれ、産業が発達した。不安の解消はある意味、人間を動かす要件であるとも捉えることができる。
しかしながら、すべての不安がクリエイティブな方向に進むはずがなく、大きな弊害や障害となってしまうこともまた事実だ。
まだ世の中が、新型コロナウィルスという言葉に染まっていなかった時期のこと。黒やグレー、ベージュのマスクを着けた人を見かけた私は、何だか怪しく見えると感じていた。
子供の頃から見慣れているのは、やはり真っ白なマスクだし、たまに可愛らしい柄つきのマスクを見かけても、ちょっとした遊び心ぐらいにしか感じたことがなかった。
不安に色をつける。彩り。
本格的にマスクが手に入りにくくなったところで、手作りマスクの情報が流れ始めた。600枚以上のマスクを作って寄付した中学生のニュースに至っては、本当に涙が出るほど感動してしまった。
大人の方は少し色が付いていたり、ドット柄とか。お子さんだと、マスクをするのに飽きちゃったりもすると思うんで、キャラクターのものを使って。
(上記のニュース記事より抜粋)
この記事を読みながら、不安というものに色がつくことが、大きな意味を持っているような感覚になった。
大きな不安となっていることを知っている子が
大きな不安を抱えている人のために
彩りを添えたマスクを作って渡す。
コロナ疲れ、コロナ慣れという言葉が出ている中、
「安心してはダメ」「気を抜くな」という声よりも
この行動の方が効果的なのかもしれない。
そんな、不思議な変化を感じた。
まだまだ不安は続く。
正しい情報と、正しい行動。
とにかく、今、できることを。
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