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埋めつくされる表現。

私はここ何年も、テレビを観る習慣がありません。ニュースはインターネットでしか確認しません。
何となくYahoo!ニュースの活字を見て、興味のあるタイトルだけをピックアップします。

「withコロナ」という状況になってから、テレビを観なくなったという人もいるようですが、もともとテレビを観る習慣がない私の生活は、以前と変わらないなぁと思うわけです。
私がテレビを観なくなった理由は、全般性不安障害の真っ只中にいた時の自分を守るためです。
ただ、高校卒業後にすぐ家を出てから一人暮らしを始めたのですが、そこから半年以上もテレビのない生活をしていました。
お金がなかったという理由もありますが、そこまで必要だと思わなかったためもあります。その名残もあると思っています。

話を戻します。

Yahoo!ニュースのサイトを開き、興味のあるタイトルだけ拾って読むのという動作は以前と変わらないのですが、ここのところずっと気になっていたことがありました。

当然ながら、コロナ関連のタイトルが並ぶわけです。不安にならないといえば嘘になりますが、まぁまぁ、当然なわけです。
ただそこには、著名人?有名人?芸能人?の方のコメントがいちいちニュースになってるなと。
こんな記事ばかりだなぁと若干呆れる気持ちと、少しホッとしている自分に気づくのです。

これね、批判というわけじゃないんです。

「テレビ番組で○○さんがこんなこと言いました」
「○○さんのツイートについて、○○さんがこんなこと言いました」
こんな状況ばかりが掲載されるけど、こういうことが一番ラクに記事にできるのかなぁと。

だって、外出自粛すべきだし、テレワーク推奨だし。こういうことを記事にするのが、比較的ラクなのではないかなと。
「ラク=安全」という意味です。
だって、記事にしている方だって、家にいて仕事をしてほしいから。取材に行って記事を書くって、現場によってはリスクだし。


なんて・・・
記事を書かれている方の状況は、あくまでもド素人の私の想像&妄想の世界です。なんでも良いんです。誰かの命が安全なら。



埋めつくされる表現。

誰かの発言に、誰かが反応する。

この状況は前からありました。それが最近、ものすごく件数が多いんだと思うんです。「いろいろな人の思考の掲示板」「いろいろな人の思考の記録」そんな風にとらえてしまう自分がいます。

一人の意見に対し、いろいろな人が反応する。反応は文章という表現を用いて記事となります。私が観るPCの画面の半分くらいかそれ以上の割合で、それらが視覚化されていることに不思議な感覚になるのです。

この埋め尽くされた表現の中、言葉にチカラがある人には共通するものがあると思っています。

「自分の信念に理由を持っている」

ただ単に、影響力のある立場であるからとか、有名だからだけではなく、発する言葉の裏に、きちんとしたエビデンスや理由を持っているのを感じます。

表現は人を顕にする
面白いような、美しいような
そして
怖いような

言葉に対する感度を高く持っていたいと思う私は、
日々、そんなことを思うのです。

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