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今日のわたしは、どれだけ自分を生きたか。

夏生まれの私は、夏生まれの娘がいます。
私にとって夏は特別な気がするけれど、好きか嫌いかを単純に答えるとしたら、嫌いかも……笑。

理由は、単純に暑さに弱いからなのです。

それから、8月15日生まれの私の誕生日は終戦記念日なのです。
小さい頃から自分にとって特別な日だというのに、テレビを点けると真っ黒い服を着た大人たちが戦争のことを話しているのを目にして、暗い気持ちになったのです。

そして、お盆だということで、誕生日会を開こうとしても友達は帰省中で誰にも連絡がつかない。

自分の誕生日は、いつもどこかしら寂しさを覚えるものでした。


それでも子供の頃は、プレゼントをが待ち遠しかった誕生日も、大人になるにつれて変化してきました。
例えばクリスマスや誕生日を一人で過ごすことは、世の中的に寂しいこととか、そんな価値観が加わっていきました。

自分が母親になってからは、子供の誕生日は気にするけれど、自分の誕生日はどうでもよくなり、年齢の数字すら分からないくらいの時期もありました。

同じようなお母さんは、多いような気がします。


今日のわたしは、どれだけ自分を生きたか。

さて、ある時から、年齢の数字を意識するようになりました。
それは書類に記載が必要だったからもあるし、子供の手が離れてきたからでもあります。

「◯◯ちゃんのお母さん」から、「私」という一人に戻った時、いろいろな角度から自分を言語化する必要があると感じたからです。

年齢の数字もその一つ。
他にも「私」を示す言葉を、悩みながらも紡ぎ出すことを自然と求めました。

昨日よりも確実に時を経た今日の私は
これまでの自分を振り返りながら
今の自分を生き
これからの自分の行き先を
しっかりと考えなければいけない


何となく年齢を重ねるのと、意識的に年齢を重ねるのとでは、「自分を生きる」という実感の得られ方が全く違うのではないか。
そう思うようになってから、たびたび自己分析をするようになりました。

もうすぐやってくる8月15日を前に、今日は半日考えました。
そして記しました。

一晩寝かせて、明日の午後にプリントアウトして、もう一度自分を振り返る予定です。

分析した結果は、確実に活かさなければならない。
限られた命を良いものにするには、他の誰かではなく、自分で自分を追求していきたいと思うから。

必ず良いものにしてみせるから。

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