「明日を拓く」とは、怖いことから逃げるための手立てなのかもしれない。
子供の頃、怖いものを聞かれたら「オバケ」とでも答えていたような気がします。細かには覚えていはいけれど、数回は聞かれて答えた記憶は残っています。
十分すぎるほど大人になった私が同じ質問をされたら、迷わず「死」だと答えるに違いないでしょう。
日々のニュースのタイトルを目にしてもそう感じるし、ここ数年で身近な友達が何人か亡くなったこともあります。
そういう年齢だから。
確かにそうかもしれません。
「人生80年」と言ってしまえば、若いと言われることもあるでしょうが、年々衰える身体を自覚しないわけにはいきません。
「明日を拓く」とは、
怖いことから逃げるための手立てなのかもしれない。
身体の不調を常に感じている私は、良からぬ想像をすることが度々あります。良からぬ想像=死です。
健康な人だとしても、まったく考えたことがないという人はいないのではないでしょうか?
健康診断の結果だったり、生命保険の確認や更新だったり、否が応でも「死」について想像しなければならない時が大人にはあるからです。
時間が経てば、当たり前に日が暮れて夜になり、やがて明日になります。
明日が来るのは当然ですが、明日をどう生きるのかを考えると考え方が変わってきます。
「死」への備えではなく、そこに到達するまでに「どう生きるか」ということに至るのです。
何か目標に向かって行動するでも良いし、心穏やかに自然を感じながら生きるのも良いでしょう。そのどちらでもなく、ただ淡々と自分のできることに向き合うのもまた、素敵な生き方だと私は思います。
いずれも、「明日を拓く」ことをしている印象だからです。
「明日を拓く」とは、
今日の次の日を、より良く生きるために考え動くこと。
目標があるならば、達成までの努力や課題解決をする。
心穏やかに自然を感じながら生きるには、不便さを受け入れる。
淡々と自分のできることに向き合うには、丁寧に対応できる能力を持つ。
「死」へ到達するまでに「どう生きるか」を思うからこそ、「明日を拓く」をしている人の凄さを感じるのです。
今の私はどうだろうと考えた時、スローペースではあるけれど、「明日を拓く」をしていると思っています。
怖いものは他にもあるかもしれないけれど、とにかく明日を拓くんだ。
精一杯何かに取り組むことで、怖さなんてものを乗り越えてやるんだ。
8月の終わりに感じる強い思いは、
きっと私を成長させる。
そう信じています。
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