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文章を書くのは、とても難しい。

もの凄い単純なタイトルにしてしまった。
でも、これ以上のタイトルが見つからなかったので、素直に書いていくこととする。

私は文章を書くのが好きだ。

しかし、文章を書くことの才能はそれほど持ち合わせていないと思っている。世の中には「文章を書くのが苦手だ」と言いながらも、賢い記事を書く人がたくさんいる。
日ごろ目にする活字の並びは、私にはとても及ばないもので溢れているのを知っているからだ。


それでも、
私は文章を書くのが好きだ。

カラオケ好きな人がみな、歌が上手いわけではない。
料理が好きな人がみな、料理上手なわけではない。

それと同じようなものだと思う。

会話のように即興性を必要としない「文章」というものに、安心感があるのも理由の一つだと感じている。


文章を書くのは、とても難しい。


私が文章を書くのが好きだと感じたのは、小学校4年生の時だった。
国語の授業。色紙に各自が書いた詩とイラストを描く課題が出たのだ。

当時上映されていた映画に痛く感動していた私は、そのストーリーを思い浮かべながら詩とイラストを描いた。
そして、それを先生に褒めてもらえたのだった。

絵を描くことは、幼稚園の頃から好きで、褒めてもらった経験があった。そこにプラスして、文章を書くことに喜びを覚えることができた瞬間だった。

自分に自信を持つことができるきっかけって、こんなものだと思っている。
こんなものの積み重ねで、人は成長していくと。


それから、文章を書くことが嫌になった時もある。高校3年生の時だった。進路希望を担任の先生に問われ答えた。

「どんな仕事がしたいの?」
「・・・文章を書く仕事とか」
「え? 何言ってるの?」
「いや、何でもない。」

まだインターネットという言葉も無かった時代のこと。文章を書く仕事なんて、作家やライターになるしかなかったのだ。勉強することを全拒否していた生徒がこんなことを言ったら、どんな先生も聞き間違いだと思うに違いない。

でも、この日からしばらく、文章を書くことが嫌になったことは覚えている。


結局、少し気持ちがささくれたぐらいで「嫌」とか思ってしまうのだが、どうしても「好き」に戻っていく。
気持ちがあちこちに行ってしまう資質があるので、長文を書くのはとても時間がかかる。書けない自分を知っているけれど、どうしても「好き」に傾いていく。

書いたものは誰かに読んでもらいたい
書いたものによって、誰かに何かが伝わってほしい。


いくら溢れんばかりの気持ちを抱えていても、相手に上手に伝えられなければ、それは手指の間から砂が落ちていくように、心に残すことができない。

文章を書くのは、とても難しい。
人に伝えるのは、とても難しい。

だから、書くのだ。
だから、書かずにいられないのだ。






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