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夏の日から始まった、不安のこと。

今年の夏で、娘が二十歳を迎えます。すごいことです。
言い換えるならば、私が母親になって20年ということになります。

こんないい加減な私でも、母親としての役割を20年やってきたなんて。心から驚くべきことです。

そして、その手前。彼女にとって最後の10代を、このような「withコロナ」の状態を生きることになるなんて、思いもしなかったと改めて感じます。

緊急事態宣言が解除されましたが、「コロナと共に生きる」といったスタンスで生活することには変わらないでしょう。

継続した不安を抱えながら、生活する。

そう。そういうことです。でも、これは世界中の人達の共通認識です。大げさに言うならば、どんな人とも「不安ですよねぇ」と、まるでお天気の話をするかのように共感・共有しあえる不安なのです。



夏の日から始まった、不安のこと。


娘が7歳の誕生日。暑い夏の日でした。
予約したホテルのレストランに向かっている途中、私は自分の身体の嫌な変化を徐々に感じ始めていました。息子は3歳。話しかけながら、徐々に苦痛で顔が歪んでいき、到着した頃には立っているのがやっとの状態になりました。

立っていられないほどの倦怠感と身体の震え。腹部の激痛。頭痛。発汗。耳鳴り。動悸。吐き気。

原因に心当たりのないまま、この日から8年間、全般性不安障害の症状と共に生活することになりました。


電車で発作が起きて、それから電車に乗ることが困難になりました。映画館は閉塞感と音と光で苦しくなり、人の多いところに行けなくなりました。
すぐ近くのスーパーに買い物に行ってはトイレに引きこもり、幼い二人の子ども達を何十分も待たせ不安にさせました。時には救急車で運ばれたこともありました。

最悪の状態の時に飲む頓服のせいで、幼稚園のお迎えに行くことができず、一人待たせてしまったことも何回もありました。

歯医者にも行けない。美容院も行けない。ひどかった時期の私はとても髪が長いのですが、それは美容院の席に座り続けることができなかったからです。

起こるかわからない出来事への不安。
不安を感じてしまう自分への不安。

いろんなものに雁字がらめになりました。

少しずつ外に出られるようになってからも、外出先で具合が悪くなることも多く、非常に不安定な日々を過ごしていました。

今は薬を飲んでいませんが、不安で眠れないので、毎日の睡眠時間は2〜3時間程度になります。
そして、たまにインパクトの強い状況になると、手指の血の毛が引いて小刻みに震え、動悸がして吐き気をもよおしてしまいます。

そうやって、私は不安と共存しながら生きています。


私自身がもともと抱えている「不安」と、世界中の人達と共有できる「不安」では、同じ不安でも種類が違うことを日々感じています。

世界中の人達と共有できる「不安」というのは、心強いということです。

私の「不安」は私自身のものなので、一人でどうにかしなければなりませんでした。だから時に孤独で、無力感もあり、理解されない不甲斐なさがありました。

「不安を共有できる」という発想は、少し不謹慎なのかもしれないとも思います。しかし、この数ヶ月の中で、最前線で戦ってくださる方から、私のような何もできない人間まで、皆んなの共通認識であったことには変わりないと思っています。
もちろん、最前線で戦ってくださっている方の不安のインパクトの方が限りなく大きいですが。


これから少しずつ、「新しい生活様式」といったものに慣れていき、新しい文化や常識が生まれていくのでしょうか。

今後のことを考えると、あの夏の日のことを思い出すのです。

あの日を境に、つらい日々が始まったのではなく
あの日から離れて、今を生きている自分が、とてつもなく幸せだと。

ちゃんと会える。
皆んなと会える。
まだ会ったことのない人にも会える。
必ず状況は良くなると。

不安を感じやすい私が思う、精一杯の未来予測。
大丈夫。大丈夫。





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