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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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2020年9月の記事一覧

まったく価値のない投稿をしてみます。

こんなタイトルが必要ないくらいに、普段から価値のある投稿なんてしていません。 けれどあえてこんなタイトルを付けてしまうのは、最近ずっと心の葛藤を抱えているのでそれを吐き出したい気分だからです。 noteもある意味SNSだから、そこまで詳しくは書けないんですがね。 私には待ってくれている人がいます。 私の挑戦を応援してくれている人です。 思えばもう何年も、同じようなことを繰り返していました。 私が何かに挑戦する時は、いつも応援してくれていました。 あまり興味のない雰囲気で

笑って泣く。泣いて笑う。

子供の頃のわたしは、たくさん泣いていました。 少しのことで苛立って、姉に八つ当たりをしながら自分が泣きわめいていた記憶が残っています。 それでも気持ちが治まらなくて、子供部屋の絨毯はわたしの爪の引っ掻き傷だらけでエライことになっていました。 大きくなるにしたがって、泣くことは恥ずかしい事だと教えられました。 我慢強さこそ善であり、「女の子の涙は同情を誘うための道具である」という考え方もどこかで頭にインプットされました。 笑って泣く。泣いて笑う。 どれも正解でどれも不正解

人の心は、いろんなもので傷がつく。

心はどこにあるのか。 心臓であるとか脳であるとか、はたまたストレスを感じるという点では身体全体が心であるかのように感じることがあります。 小さな部屋に一日いただけなのに、世の中は確実に動いて衝撃的なニュースが飛び交います。 気持ちを萎えさせる相手からのメールも、身体全体で受け止めてグラグラしてしまいます。 良いことばかりではない。 たまには嫌なことも起こる。悲しいことも起こる。 それを頭で理解していたとしても、なかなか心は傷つきやすいものですね。 それから、「気持ちの

夜の言葉。

秒針だけを見て、秒針の音だけを聴いて、何処にあるのか分からない心という場所を探して、何処にあるのか分からない誰かの居る場所を探して、波に呑まれて、光に呑まれて、それは静かに闇を迎える。 点が気になり、点から離れ、それでも気になって再び点を目にして、幽体離脱を繰り返し、波に呑まれて、光に呑まれて、それは静かに闇を迎える。 闇の中に浮かぶ言葉が、温かければ良いし 闇の中い消したい言葉が、遠いところに行けば良いし 朝の陽を知る頃には、引き出しにしまえたらいい。

行間が読みたい私は、何を求めているのか。

私は在宅で仕事をしています。 朝起きてから夜寝るまで、ほぼずっとPCの前にいます。 「仕事だから」という理由ではなく、「つながっていたいから」が正解です。 この場合の「つながる」とは、世の中の出来事につながることでもあるし、SNSで誰かとつながることでもあります。 もちろん、お客様とつながることでもあるし、自分自身が残したエビデンスや思考の記録につながることでもあるのです。 今日、お客様からの5行ほどのメールの文章を繰り返し呼んでいたら、いろんな気持ちが込み上げてきて、

わたしの声。誰かに届ける声。

幼い頃、さっき話した自分の声が聞こえて大喜びした記憶があります。 恐らく幼稚園にあがる前のこと。その頃住んでいた家の様子まで思い出すと、そんな時代のはずです。 父親は家電メーカー関連の会社に勤めていて、余剰在庫が出たという理由で、家に電気製品が増えることがありました。(ちゃんと手続きはしていたはず・・・) そこに登場したのが、カセットテープレコーダー。 ラジオ機能も付いていない、純粋なカセットテープレコーダーでした。 テレビの入出力に端子をつなげて、歌番組を録音できるとあ

皆んなに好かれて、何が楽しいの?

たくさんの人に頼りにされているような方と話をしていた時のこと。 「人気者だね。」 という私に対して、 「○○と○○と○○とには、すごい嫌われてる」 と答えてきたことがある。 言われてみれば馬が合いそうにない人たちだと、頭に思い浮かべながら笑ったのだけれど、半分は謙遜しているのではないかと感じていた。 けれど、その後さらに 「皆んなに好かれて、何が楽しいの?」 と言われた。 私自身は、皆んなに好かれるタイプではないと思っている。決して社交的ではないし、一人の方が楽なHSP

秋を感じることを、何もしていない。

なんて愚痴めいたタイトルでしょう。笑 別に愚痴ではないのです。そもそも、秋らしいことなんて、今までだってしてこなかたのです。 子供たちが小さい頃は、運動会やらハロウィンやら、多少なりとも秋の行事もあったのです。けれど大きくなった彼らにそれはないし、コロナで行事がなくなっていることもあります。 この夏は体調を崩しっぱなしでした。 「体調崩しっぱなし」という言葉も可笑しいのですが、本当にダラダラと体調不良だったのです。 数年おきに、機能性ディスペプシア(FD:Function

叶えたい思いは、毎日言葉にする。

わたしは言葉が好きです。 わたしが何かに傷ついたり心痛めるとき、薬や治療を必要とすることがありますが、中でも言葉に勇気づけられる面が大きいからです。 このツイートを読んでいただければ、わたしがそう確信する理由を理解していただけるはずです。 今わたしは、叶えたい目標があります。 人生の折り返し地点に在り、こんなに目標が明確になったのは初めてではないかと思うくらいです。 毎日、毎時間くらいの勢いで、その目標を思い描いています。 「叶」の漢字は象形文字だそうです。 口は人の

やるべき事が増えたら、パニクってしまった。

今日、切実にnote毎日更新を辞めたいと思いました。 もうすぐ300記事になろうとしている、noteなのに。唯一、習慣化できていることなのに。 今週、とあるプロジェクトの準備が整ったのです。難しそうだという理由で、なかなか手つかずだったものを、何とかして実行に移すことができました。 若干の燃え尽き症候群的な気持ちもあったのか? はたまた、お天気のせいなのか? 季節の変わり目だからなのか? 今日一日は体調が優れずにごゆるりしていました。 そして、夕方くらいから元気が出はじ

自分らしさとは。

数年前から、よく聞いているような気がする「自分らしさ」という言葉。 自分は自分でしかないのに、「らしさ」と付けるのはなぜだろう? 「らしさ」で思い浮かぶのは、高校の生徒手帳だ。 高校って・・・いったい何十年前の記憶なの?と思われるかもしれない。 けれど確実に、高校生の頃を思い出すのだ。 わたしは小学生の頃、転校を機にいじめを受けた。 特定の人物からだった。一度だけ親に言ったことがあるが、面倒がられてそれ以降は口にすることができなくなった。 トイレの個室にいた時に、バケ

文章とは、一つのインフラなのだ。

note毎日更新をしています。 毎日文章を書く。毎日感じたことを書くというのは、思いのほか難しいものです。 仕事で書く文章というのは目的がハッキリしているので、もちろん簡単だとは言えませんが、ある程度段取り良く書き進めることができます。 起承転結に当てはめて、書き連ねることができます。 毎日感じたことを書くというのは、意外に難しく。 それをしているからといって自画自賛したいわけではないです。ただ、Twitterのように140字程度であれば気軽に書くことができるかもしれませ

わたしの思考は、カラフルな付箋紙で可視化される。

数ヶ月前から、付箋紙の虜です。 その前はどうだったかといえば、手書きのメモを書くのが苦手でした。 誰かの話を聞きながらメモを取るタイミングってあるじゃないですか。セミナーとか、会議とか、何か動画を見ながらでも、気づいたことをメモする。 そんな時、「聞きながら書く」という芸当をこなすのが不可能な私は、最終的に「書く」を諦めることがよくありました。 会議などの場合は、さすがに重要なことをメモする必要がありますが、PCを持ってその場にいるので、PCのメモ帳機能を使っていました。

文章を書くのは、夜と決まっているみたいだ。

note毎日更新を習慣としています。もうすぐ300記事になります。 当初は毎日ではなかったのですが、早いうちから毎日投稿するようになりました。 継続力のない人間だろうと、自分のことを評価していました。けれどこれだけ続けば、自分でそれを否定したことになります。 「やればできる」なんて、浅く聞こえがちな言葉も、少しくすぐったいながらも受け入れてしまいそうです。 文章を書くのは、夜と決まっているみたいだ。 Twitterの140字には収まりきれない思いを書くには、noteは私に