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『光る君へ』いろいろ解説⑤ 庚申待(こうしんまち)

みなさん、こんにちは。
『令和源氏物語 宇治の恋華 第百二十三話』は明日4月11日(木)に掲載させていただきます。

さて、遅ればせながら、本日は第12話で登場しました『庚申待(こうしんまち)』について解説しようと思います。

「庚申」というと、「庚申信仰」という言葉が現在でも伝わっておりますので、『光る君へ』で「庚申待」という言葉は実に耳に慣れないものだったのではないでしょうか。
もともとの風習がこの庚申待に由来しております。

中国の道教に「三尸説(さんしせつ)」というものがあります。
人の頭、腹、足には三尸と呼ばれる虫が住んでいて、その人間の悪事を日夜監視していると考えられておりました。
この三尸はその人が生まれる前から体内に宿り、その人が早く死ねば解放されるということで、宿主が早く寿命が尽きるようにその体に巣食い、庚申の日には天帝に悪行を告げ口して寿命を削ってやろうと画策したということです。

頭にいる虫は「上尸(じょうし)」
その姿は人型で道士の姿をしていて、首から上の病を引き起こそうと大食の誘惑をします。

腹にいる虫は「中尸(ちゅうし)」
獅子のような獣の姿をしていて、臓器の病を引きおこし、宝貨への欲を引きおこさせます。

足にいる虫は「下尸(げし)」
牛の頭に人の足がついた姿をしていて、腰から下の病を引きおこし、淫慾を誘発します。

三尸の虫は庚申(かのえさる)の日に天に昇り、天帝に告げ口をすると考えられておりましたので、虫を体から出さないように庚申の日は寝ずに夜を明かす風習が生まれました。
庚申は十干十二支の日の巡り。
陰陽五行説によりますと、十干の庚も十二支の申も陽の金の気が高まる日です。同じ属性の比和(ひわ=同気が重なる)ですので、庚申の日には金の気が地上に充満して人心が冷える日といわれました。
ここを見はからって三尸は天帝に告げ口に行こうとするのですね。
庚申は60日に一度ありますので、年に6、7回「庚申待」の日があったということになります。

日が落ちると、平安貴族たちは碁や詩歌、管弦などを楽しみ、庚申遊行と呼ばれる宴を開きました。
食事をしながら酒を酌み交わし、夜通し語り合ったということです。
庶民たちもこの日は慎まなければならないので、村単位で神様をお祀りしてまるで親睦会のような雰囲気で和気あいあいと夜を過ごしたということです。

我が国には八百万の神様が存在すると考えられ、それゆえにあらゆる信仰や神様が伝わっても鷹揚に受けいれる風土が根付いております。
仏教も渡来して根付いた信仰のひとつ。
そうしたものが習合(交じり合い、折衷されて)して庚申信仰へとつながりました。
申であることから神道の猿田彦神と結びついたり、仏教においては青面金剛や帝釈天と結びつき、それぞれの地域で独自の信仰が行われるようになりました。

さて、平安時代において、庚申は慎ましくやり過ごすのが模範とされており、道長が倫子に通ったのは・・・、いいのでしょうか???
この日に契りを交わして生まれた子は「盗人の性格を持つ」として、男女の交わりなどもってのほかでしたので。
まぁ、NHK大河ドラマはエンターテイメントということで、オールオッケーなのでしょう。

また何かありましたら解説させていただきます。


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