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サービス記事☆令和版 誕生日別 和のお守り文様 7月7日<織姫と彦星>

令和版 誕生日別 和のお守り文様 
 
令和の日本では西洋の文化が定着し、日本人特有の寛容さから異文化の祝い事なども生活の一部となり、それが当たり前のこととなっております。
それゆえに我が国特有の文化や文様が思い返されることが少なくなりました。
しかしちょっと考えてみてください。
さまざまにアレンジされながらも、その文化は脈々と受け継がれているのです。
たとえば昔からあった「瓜文様」。瓜科の植物は蔓草が繁茂する様子から繁栄の象徴とされ、手回りの道具や絵にあしらわれてきたのです。
現代では半分にカットされたスイカがデザインされた図案があるとしたら、これが昔通りの「瓜文様」ということになります。
文様にはそれぞれの意味があります。
366日のそれぞれにふさわしい文様を数秘術などから割出し、解説を加えたのが本書です。
季節にそぐって文様化された動植物、有職文様、渡来文様など、令和の時代だからこその文様も含まれております。
一年を豊かでラッキーに過ごすエッセンスとしてご活用ください。
 
暦について・・・
我が国は長い間太陰暦(旧暦)に従っていました。
太陽暦を取り入れると発表されたのは1872年明治5年11月9日。
実際に施行されたのは、旧暦明治5年12月3日を明治6年1月1日として開始されました。
太陽暦が当たり前の令和の我々には、旧暦はもはや遠い存在ですが、一月ほども違うと季節もずれてくるというもの。
行事や季節感に違和感を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
 旧暦の季節区分
春 1月~3月
夏 4月~6月
秋 7月~9月
冬 10月~12月
 
新暦の季節区分
春 2月~4月(5/4までが春)
夏 5月~7月(8/6までが夏)
秋 8月~10月(11/6までが秋)
冬 11月~1月(2/3までが冬)
 
本記事は新暦に則り、改めて令和版の『誕生日別 和のお守り文様』として発表させていただきます。
 
青木 紫

<7月7日生まれのあなたの文様>
 織姫と彦星(おりひめとひこぼし)

織姫と彦星

織姫と彦星のお話は誰でもよく知る天界のお話でしょう。
担がれる縁起は「縁結び祈願」「夫婦円満」です。あまりに有名なお話ゆえに細かいところまであまり知られていないのが残念なところです。
ここでおさらいをしてみましょう。

昔、天の神様には織姫という美しい娘がおりました。天の川のほとりで毎日神様たちのために機織りをして綺麗な布を織りあげてゆくのが織姫の仕事でした。織姫の織った布は、それはそれは軽やかで美しく、神様たちが身にまとうと五色の輝きを放つ神聖なものでした。
織姫は毎日毎日遅くなるまで手を止めることはありません。その働きぶりは立派なものですが、美しく年頃になっても仕事ばかりをしているのを気の毒に思った父神は、娘に聞きました。
「姫や、誰か好きな人はいないのかね?」
「お父上さま、一体誰がこの天の川のほとりを訪ねてくれるというのでしょう」
なるほど娘のいうことももっともである、と神様はよい相手はいないだろうかと探しに出かけました。
神様が天の川の岸辺を歩いていると、牛の世話をしている彦星という若者に出会いました。
彦星が牛の世話をして牛が草を食べることで畑は守られ、畑仕事に熱心にうちこむ好青年でした。
「うむ、この若者ならばきっと織姫と幸せに暮らしていけるであろう」
そうして神様は彦星を織姫の元へ連れて行ったのです。
出会った二人は一目で互いを好きになり、結婚して仲良く暮らし始めました。
しかし神様が思ったようにはいきませんでした。
二人は仲が良すぎて仕事をすることをやめてしまったのです。
「困ったのう。仲睦まじいのはよいこととして、仕事をしないのは問題じゃ」
神様たちの天衣はほころび、彦星の畑は荒れて、牛は病気になってしまいました。
神様の懇願にも夫婦は耳を貸しません。
怒った神様は織姫を天の川の西の果てに、彦星を東の果てに追いやり、二人を別れさせました。裂かれた二人の嘆きは深く、やはり仕事も手に付きません。
可哀そうに思った神様は年に一度、七夕の夜に会うことを許しました。
夫婦は元通りに懸命に働くようになり、七夕の夜を待ちわびたのです。
そして晴れた日には天の川を渡り二人は会うことができました。
雨で天の川が氾濫した日にはカササギが連なり、橋となって二人を助けてくれたということです。

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