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地球の果ての極夜を一人で過ごす

今年読んだ本の中で、間違いなく私のめちゃくちゃよかった本ランキング3位に入るであろう角幡唯介さんの『極夜行』。

今年が終わるまでにあと2か月近くあり、年末までにはあと150~200冊は読むし、川内有緒さんの新刊『 空をゆく巨人』が出るので、「3位」&「であろう」と書いておく。

極夜――「それは太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い、長い漆黒の夜である。そして、その漆黒の夜は場所によっては3カ月から4カ月、極端な場所では半年も続くところもある」

娘が入院する病院の消灯後、真っ暗な中、LEDのライトを頼りに1人で読んだ。いろんなことが辛くなると極限系ノンフィクションを読むのだが、今回もなかなか退院できない娘の看病に疲れて、極限系ノンフィクションを選んだ。

「極夜の探検」をするのに3年の準備期間を経て、犬のウヤミリック一匹を連れ橇をひいて僻地の真っ暗闇を進む。GPSを持たないと決めている著者は、ブリザードの中迷子になったり、白熊に備蓄品を奪われ、食料難に陥ったり、次々とトラブルに襲われる。

パートナーであるウヤミリックを食べるしかないか!? 窮地に陥ったときに、動物の足跡をたどって暗闇を歩き回る。これ以上進めば戻れなくなるのに、なおも進み続ける探検家の言葉に、私も不安と恐怖と得体のしれない焦燥感に突き動かされて、どんどんとページをめくっていってしまった。

米国に住んでいたころ、ブリザードが来て、ホワイトアウトで自分の手すら見えなくなり、建物を触りながらなんとか入り口を見つけて建物になんとか入った。あのとき、凍死ってキレイに死ねるんだよと、一緒にいたクラスメートに言われたことを思い出した。あのときは友達と一緒だったけれど、犬しかいない。私だったら発狂するだろう。

本を読みながら、自分がこの暗闇の極限の地を体験している気になる。

極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき 、人は何を思うのか ─ ─ 。

私だったら、きっと、「もう二度とこんなバカなことは計画しない!」と、涙を流して太陽を見るだろう。そもそも、こんな危険な旅には出ないだろう。

いや、そうでもないか。グリエールの「コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲 Op.82」でロシアの寒さが表現できないと寒波に見舞われた真冬のロシアに旅立っていったのは、この私だ。

サンクトペテルブルクでバルト海を見ながら、「寒くて死んじゃう」と鼻水まで凍らせ、モスクワではホテルの部屋の暖房が壊れていて、ありったけの服を着て震えながら寝た。その結果、第一楽章の寒さと、第二楽章の春を表現できるようになったが……。

角幡唯介さんは、到達することが目的ではないと書いている。太陽を見ない数カ月を過ごした時、自分が何を思い、どのように変化するのかを知りたかったのだという。

極限の果てに見た太陽に、角幡唯介さんはこう感じたそうだ。

「世界はものすごく単純な物事から成り立っているんじゃないかという発見です。極夜が明けたときに昇る太陽を見てみたいという私の願望、つまり闇の世界から光の世界に変わる瞬間を見てみたいという潜在的な欲望が、出生の記憶に基づいていることは間違いないと、今回の探検で確信しました。これは万人に当てはまる普遍的な出来事です。人間が生まれる、子供を産むというのは、誰にとっても人生で最大の出来事だということを再発見した。考えてみれば、ものすごく当たり前で陳腐な認識ですが、その当たり前のことを僕らは、普段の雑事に煩わせて忘れがちになってしまう。」

出典: 週刊読書人ウェブ 「角幡唯介インタビュー 一生に一度の旅 極夜のカオスは自分の内面でもあった

このインタビューすごくいいので、本を読み終わったらこちらもぜひ全文読んでほしい

4年の歳月をかけたこの冒険記は、単なる冒険記ではなく、自身の内面を掘り下げる壮絶な内観の物語だった。

Top image photo by Nathan Dumlao on Unsplash

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