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昔のままの笑顔に泣いた

最後に会ったのは2001年の冬。私が8年暮らしたマンハッタンから日本に戻る直前。

当時二十代最後の彼女・カヨは、元気で素直、まだまだ人生序の口の甘々ちゃんだった。なんかね、11才年下でかわいかった。その頃、ちょうど運命の人と出会い「まるごとまんまの私を受け止めてくれる人と出会ったの。結婚する!」って紹介しにきてくれた。それが最後だった。

たまにバイトを頼むと、あまりできなくて(笑)、当時は人間ができていなかった私をムッとさせていた。あの頃を思い出すと恥ずかしい。若かりし頃だったので許しておくれね。

今日、そんな彼女と22年ぶりに会った。彼女のパートナーが沖縄出身で15年ぶりに那覇に来るという。先に那覇に来ているパートナーと後から合流するということで、時差ボケのまま羽田から那覇に飛んできた彼女をピックアップするために空港に行った。

22年ぶりっていうけど、2019年にひょんなことからLINEで繋がり、数度やりとりしただけ。それが先月突然、12月に里帰りするけれど会えるかとの連絡。その日が今日だった。うれしい気持ちは満々だったけれど、こまめに連絡を取っていたわけでもないし、そう驚くこともない。たまたま日程があったし。ただ、彼女だと認識できなかったらどうしよう…と少し心配していた。

待つこと20分。

到着口の向こうにいる彼女、一目でわかった。昔とまったく変わらないカヨの笑顔がそこにあった。思いっきりハグして、あろうことか、ふたりで泣いていた。お互い、そこに驚きつつ、泣いた。これを打っているいまもなんか泣けてしまう。

なんなんだろう、この感情。

昔の自分を知っている相手ではあるのだけれど、単純に懐かしいというのとも違って。外国で暮らすってことは、遠くの家族や親戚よりも、近くの他人が命綱のような存在、血縁も戸籍の関わりもないとても近しい家族となる。カヨは私にとってそのひとりだったし、すごく信頼していたことを思い出した。

少し話は逸れるが、数年前にアカシックリーディングの第一人者であるゲリー・ボーネルさんに、私が10年前から沖縄に住むことになった理由は「魂の繋がりがある人々とreuniteー再統合ーするため」と言われた。

今日、カヨと再会した瞬間の理由なき涙はそれだったのかもしれないと思う。喜びとか久しぶりという感情を超えて、ただ、心が満たされた。

カヨ、ありがとね。
素直な性格のまま、幸せにしている笑顔のあなたと時間を過ごせてすごくうれしかった。
また会おう。

あー、また泣けちゃうなぁ。
涙もろいのは昔からだけど、これも年齢のなせるワザということにしておこう。

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