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20歳になったその日、なにかを変えたくて自転車で遠出した。なにも変わらなかった。その日1日だけでは。

「ああ、今日も、気がついたら朝だ...。」

*

2013年の6月9日。

その日20歳になった私は相変わらずの昼夜逆転生活で、寝なきゃって頭では分かっているけれどなんだか寝るのが惜しい気がして、結局眠らないまま朝を迎えた。

引きこもり生活も3年目。10代が終わってしまう。20歳になるなんて、そんなに大きな節目ですら変われなかったらきっとわたしは一生変われないだろう。そう思った。何かしなきゃ。何かしなきゃ、きっとわたしは永遠にこのままだ。

だから、なにか特別なことをしようと思った。

特別なこと…、特別なこと…

世間のことをなんにも知らないわたしは考えた。

そうだ、今まで体験したこと無いような大変なことをしよう。自転車で遠くに行こう。いつもは車で通るルートを、自転車で行ってみよう。

だから、約20キロ離れた動物園に、自転車で行くって決めた。

それなりに体力を消耗するだろう。地図通りに行っても2時間以上かかる。おまけに方向音痴のわたしのことだ。きっと大変な道のりになる。そうおもった。

いい感じだ。そういうことがしたい。20歳になるのだから、なにか特別なことがしたいのだ。

今日も夜に寝なかったけど、20歳の誕生日の今日実行できなければ、わたしはきっと変われない。パーカーにキャップに申し訳程度の日焼け止めを塗って、早朝5時、自転車に跨り家を出た。

*

たぶん多くの人が知っているだろうけど、20歳になるって思っている以上に普通。20歳になっても、成人式が過ぎても、そこを境に人生が激変するなんてこと、実際は起こらない。

自転車の旅もそうだった。自転車で行って帰って、動物も見て。多分楽しかったし、ほんのちょっと達成感もあったけど、思ってる以上に普通。その日を境に人生が激変するなんてことはなかった。

人生なんて、人間なんて、じわじわ変わっていくもので、変化はいつもその中にいるときに目で見てとれることはない。

出発する前は、「きっと人生が激変する1日になる!」そう思って出かけた。だけど、終わってみたら、なんてことない。ただちょっとだけいつもより疲れて、日焼けの跡がしばらく残った。それだけの体験だった。

*

あれから早7年。もうあの頃とはぜんぜん違う人生を生きている。

毎日泣いてなんていないし、自由に外に出られるし、目も合わせられない言葉も発しない、そんなわたしでは無くなった。

自転車の旅は、あの日のわたしに大した影響を及ぼすことはなかった。少なくとも、あの日のわたしから見たら。

だけど、今でもふと思い出す。自転車の旅に行ったなぁ、と。はっきりいって、旅の詳細はほぼ覚えていない。覚えているのは、肩が真っ黒に焼けたことと、カンカン照りの道で迷ったこと、そして、動物園を1人で回るということはなかなかに注目を集めるってこと、それくらいだ。

なんだけど、あの日自転車で旅に出たことは、今でもふと思い出す。もがいていたなぁ、と思うのだ。

人生なんて、人間なんて、じわじわ変わっていくもので、ある日を境に、ある出来事を境に、目に見えて明らかに変わるなんてことはない。

だけど、1つの大きく打った点が、時間をかけて徐々に徐々に効いてくる、そんなことが起こるのも、また、人生だ。

そのときは、大したこと無い出来事に思えたことが、時間が経ってふと思い出す時に、すごく良い思い出になっていることがある。

20歳になったその日、なにかを変えたくて自転車で遠出した。なにも変わらなかった。その日1日だけでは。

だけど、7年後のわたしは、たまにあの日を思い出しては「良い日だったなぁ…」としみじみ思う。

あのときは分からなかったけど、意味のない1日なんかじゃなかった。

長く続く時間の中で、なにも変えることができなかったはずの独立した1日が、じわじわとわたしの心を満たしている。

おいしいごはんたべる…ぅ……。