見出し画像

断乳への罪悪感

生後10ヶ月の長女、これまで完全母乳(完母)で育ててきたが、断乳を決意した。

だけど、なんだろう、この胸に迫りくる罪悪感は。
娘に対する申し訳なさは。

この感情を分解する前に、私のこれまでの母乳育児のスタンスについて述べようと思う。

出産前は、母乳とミルクの混合にしようと思っていた。
理由は、私がいなくても、夫や母でもミルクはあげられるから。その方が、私が物理的に・時間的に、娘から離れる時間が確保できると思ったから。

実際、出産後は混合で育児していたが、ほどなくして完母に移行した。理由は2つ。
①調乳、哺乳瓶の洗浄・消毒が面倒。完母はめちゃくちゃラク
②乳アレルギー判明

②に関しては、アレルギー対応ミルクがあるので問題はないが、ラクという完母のメリットを採用し、完母で育ててきた。

では、なぜ断乳することにしたのか。
その理由は、授乳時に出血するほど乳首を噛まれるようになり、心が折れたから。

噛むのには、理由があるらしい。助産師さんいわく。
(味が悪い、母乳の分泌が悪い、などなど)
しかし、その原因を改善して母乳を続けようという思いが1mmもわかないほどに、噛まれる痛みの肉体的・精神的ダメージがあまりに大きかった。

そして、断乳を決意するに至った。

しかし、押し寄せてくる罪悪感。

生後10ヶ月での断乳はかわいそうではないか・・・
母乳の味が悪くて噛んでいるとしたら、私の食生活が悪かったのではないか・・・
赤ちゃんも話せばわかると言うし、断乳するならば予告してあげたかった・・・

などなど、自分を責める気持ちが湧いてきて仕方ない。

この罪悪感はどこから来るのか考えてみると、
「常識」「他人の価値観」
が原因では?と思い至った。

知らず知らずのうちに
「完全母乳至上最善説」
「赤ちゃんが欲しがる限り、母乳あげるべき説」
「断乳は予告してから行うべき説」
といった説が、私の頭をのっとっていたのだ。

私は何をしたいの?私は何を望んでいるの?
そう問いかけてみると、答えはいたってシンプルだ。

「痛い。噛まれるのは耐えられない。断乳したい。」

それなのに、まことしやかに囁かれている説に、私自身の思考が支配されてしまっていた。
世間や常識が描く理想の母像と離れていたから、罪悪感を感じていたのだ。

しかし、世間がなんだというのだ。常識がなんだというのだ。
私は私。私は断乳したい。だからする。それだけのこと。

自分が選んだ選択が、正解なのだ。


断乳をして数日が経過した。
幸い、娘は母乳への執着が少なく、ケロっとしており、すんなりミルクを受け入れていた。
私自身も、あの耐えがたい痛みを感じることはもうない。

なんだ、私も娘もハッピーじゃないか。

案ずるより産むがやすしとはこのことか。

育児に関しては、本当に本当に、世間や常識から来る様々な「説」がある。
それに翻弄され、自分を苦しめてしまう母のなんと多いことか。
私もその一人である。

そんなしがらみから離れ、自分の育児が正解なのだと、自分を素直に認めてあげたい。

頂いたサポートは、子どものために使わせて頂きます(^^)本当にありがとうございます。