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10年前、残業に疲れた私が、仕事帰りに約25km歩いた話

約10年前、私は、大宮で働いていた。

埼玉県さいたま市大宮区。

新幹線も停車するビッグターミナルである大宮駅。駅の周りには高島屋、そごう、ビッグカメラなど、大型の商業施設が軒を連ね、企業の本社や支店、予備校なども多く集まっている都市。足元には昔ながらの商店街や、飲み屋街もある、なかなかディープな街。

大宮駅の東口を10分くらい歩くと、「氷川参道」というケヤキの大樹が立ち並ぶ、参道がある。

この参道は、「武蔵一之宮」といわれる、東京・埼玉に約280社あると言われる氷川神社の総本社へと続いている。氷川神社から大宮駅の南の隣駅、「さいたま新都心」駅のそばまで、約2㎞を結んでいる。

私の職場は、この「氷川参道」の隣にあった。

約1年半、この職場で働いたのだが、「氷川参道」のケヤキ並木は、季節によって色々な風景を見せてくれた。


夏には、参道沿いのフェンスに羽化したてのセミを発見。

昆虫好きな先輩が、興奮気味に

「ほら、見てみて!!」

と私を呼びに来て、見せてくれた。見るからに柔らかく、白い宝物のようで、守ってあげたくなるような、生まれたてのセミの姿。それを目にした経験は、今でもたまに子供たちに自慢するほど、心に残っている。


秋には、色とりどりの落葉。

秋の終わりの頃になると、風がサーッと一吹きすると、ドバドバと葉が落ちてくる。

朝の掃除の時間、汗をかきながら落ち葉を集めた。箒で掃きながら通ってきた道を振り返ると、本当に掃除した?っていうくらいに、また落ち葉が落ちていていて、仲間と笑ったこともあった。


氷川参道に流れる、そんなゆったりとした空気が好きで、朝早めに自宅を出て、さいたま新都心駅で電車を降り、そこから約30分弱かけて、職場へ歩いて行くこともしばしばだった。


そんな楽しみがありつつも、当時、『働き方改革』というワードは、まだ私の耳まで届いてきていなかった。

朝起きて、電車に乗り、職場に通い、深夜に帰宅するという生活。

仕事にやりがいや楽しみはあり、職場の身近な仲間にも恵まれていた。

でも。。。

仕事を中心に、生き方を合わせていくような生活。

20代前半の私は、煮え切らないものを抱えていた。


『世界一周の船旅』

店の壁や居酒屋のトイレ、色んな街の色んな所に貼られたポスターが、ずっと気になっていた。

地図を見ては、見知らぬ土地に思いを馳せていた学生時代、

いつかは行ってみたいと思っていた世界の国々。

「参加したら、人生変わるかも。」

そう思った。

当時住んでいた早稲田の隣町、高田馬場に『世界一周の船旅』を企画・運営する『ピースボートセンター』があった。

HPで調べて、説明会に参加した。

いつか行ってみたいと思っていた場所。そして、人々が、国籍を超え、楽しそうに交流する姿。ワクワクがいっぱいに詰まったスライドを見ながら、体験談を聞いた。

会社を辞めてピースボートに乗った人の話。

まさに、会社を辞めて、参加しようとしている人の話も聞いた。

また、そこで、こんなことを言われた。

「ゆかりさんって、本当は面白いところ、沢山持ってると思うんだけど、気づいてないだけだと思うんだよね~。」

その時は、まだ若かったからか、初めて会ったばかりの人に、いきなり言われたからなのか分からないが、「何だか、胡散臭いなあ」って、思ってしまったのを覚えている。


その後、私は一度だけ『ピースボート』のポスター貼りをした。

小田急線「梅ヶ丘」駅前の商店街。

初めて降り立った街だった。

寿司屋や、クリーニング屋、ヨガのスクール、様々な店舗にアポなしで出向き、「『世界一周の船旅』のポスターを貼らせてください!」とお願いする。

『ピースボート』に乗る料金は、このようなワークを通じ、その仕事量に応じて割引されるという。

その日、組んだ仲間と手分けをして、商店街を回った。

恥も何も捨てて、会ったことのない人に『ピースボート』の説明をし、ポスター貼りの依頼をする。既に貼ってあるお店のポスターは、説明をして、新しいものに貼り替える。

「このポスターを前に貼った人は、もう旅に出たのかな…?」

「そもそも、私は何でこんなことをしてるんだ?」

とか、色々なことを考えながら。

断られることももちろんあったが、ポスターを貼らせてくださったお店の方に、

「頑張ってね!」

と、声をかけて貰ったりもして、仕事を終えた後は、何だか満たされたような感じを得ていた。


それから、私はどうしたか…。


結局、その後『ピースボートセンター』に行くことはなかった。

単に、仕事を辞めて行く勇気がなかったのかもしれない。


その時、思い出したことがあったのだ。

『世界中の人と友達になりたい。』

っていう小さい頃の夢。


世界に行ったら、確かに見える世界が変わるかもしれない。

でも。。。

「今いる場所で、職場で、毎日顔を合わせている沢山の人々との関係を、私は十分に楽しめているだろうか?」

「身近な人と仲良くならずに、世界の人と仲良くなれるのだろうか?」


その後の職場での生活は、少しだけ変わったかもしれない。

「もっと一人一人のことを知りたい。」

そう思いながら仕事するようになると、見える世界が少し変わった。

仲間との会話が楽しくなって、自分のことも話せるようになったのかもしれない。


街歩きに先輩を巻き込む

そんな自分の小さな変化を感じながら、仕事をしていた時だと思う。

私の街歩き話(詳しくは自己紹介に記載)を、面白いと言ってくれた先輩がいた。

どういう経緯で思い立ったのかは、よく覚えていないが、私は、深夜に早稲田の自宅で一人、地図で大宮から早稲田までのルートを調べ、A6の小さなメモ用紙に、通過点の駅や橋などを書いた行程表を書いた。

書いていて、妙にワクワクしたのを覚えている。

そして、先輩にそのメモを見せた。

「大宮から自宅まで歩いてみようと思うんですけど…!」

仕事後に約25㎞のウォーキング。ドン引きされる可能性もあったと思うが、面白がった先輩はその企画?に乗ってくれ、ある日の仕事終わりに決行した。

先輩の家が、たまたま私の家と近かったことも、幸運だった。


大宮から、東京に接する都県境、川口までは、京浜東北線、高崎線・宇都宮線、湘南新宿ラインが通る、線路沿いの道を歩いた。

夜なので暗く、空いている店はまばらだったが、いつも車窓から眺めている景色を自分が歩いているのは、何だか面白かった。

歩きながら先輩と話したことは、あまり覚えてないが、他愛もない会話だったんだと思う。

途中で雨が降ってきて、北浦和駅前のコンビニで、ビニール傘とレインコートを買ってもらったこと。

埼玉から東京へと荒川を超える橋を渡るときに見えた、東京の街の明かり。

行き交う車のヘッドライトと、橋を照らす街灯の下に照らされたときの、何とも言えない浮遊感。

東京に入ってしばらく、結構急な坂を上った先にあった、板橋区の志村坂上のマックで休憩したこと。

・・・・・

断片的な記憶だが、10年経った今でも、ふわりと思い出される。

距離から推測するに、恐らく5~6時間は歩いたと思う。

その後も、この企画は、少しずつルートを変え、何度か実行された。


その先輩には、異動してからも、気にかけてもらい、色々な場面でお世話になっている。

今は年に一度、年賀状でのやり取りだが、我が家の靴棚で折り畳まれている透明のレインコートを見る度に、「元気にしてるかな?」と思い出す。

先輩のことは、勝手ながら、心の友だと思っている。


歩いた先に見えたもの…

しばらくして、私は、異動で他の職場に移ることになった。

新天地への異動、新たなる挑戦にワクワクしつつ、後ろ髪を引かれる思いもあった。

その職場で出会った人、一人一人との間に、思い出に残るエピソードがあり、伝えたいことが沸き上がっていた。

大宮から早稲田、先輩と約25㎞を歩いた「街歩きエピソード」は、沢山ある大宮で仕事を共にした仲間とのエピソードの一つでもある。


送別会を前に、私は、一人一人に手紙を書いたことを思い出した。

そして今、久しぶりに、仲間が書いてくれた色紙を読み返してみた。

一人一人の顔が目に浮かび、心がじんわり温かくなった。

「みんな、どうしてるかな?」「また会いたいなあ。」

そう思った。


『世界一周の船旅』

いつかは行ってみたいと、今でも思っている。

まだ見たことのないものを見て、文化に触れて、異なる価値観で育った人々と、話をしてみたい。

でも、今いる所でも、楽しめることってあるのかもしれない。


日々の生活の中で、煮え切らない気持ちが沸き起こった時、いつでも40㎞歩くわけにはいかないけれど、このエピソードは、私にいつも『今いる場所で楽しむ勇気』をくれる。


私は、今いる場所を楽しめているだろうか?

身近な人との関係を楽しめているだろうか?

自分のワクワクを形にするには、何をしたら良いんだろう?


その答えに向かって行動していると、何だか、楽しい世界へと近づける気がしている。

自分の持っているものが、少し、面白く思えてくる。

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