変わりたいと思う瞬間
変わるって、難しい。
無意識に、もしくは「私の最善はこれだ!」と決めて、やり続けてきたことを、終わらせ、新しいことをはじめる。
さらに、習慣化する。
とてつもなく高いハードルだ。
「変わってほしい」とダイレクトに言われたわけではない。
身近な人からの、ある問いかけをきっかけに、私の行動の癖のようなものが、身近な人の仕事や生活にプラスではない影響を及ぼし、苦労をかけてしまったのだという、薄々自分でも気づいていたけれど向き合えていなかった事実に向き合わざるを得なくなった。
心がざわつきはじめ、逃げようとしても逃げられない壁に阻まれているような感覚。
他の景色が視野に入らなくなる。只々、その事実と向き合うしかない、向き合わないと乗り越えられないのがわかる。
痛い。
私を攻めようと思って紡がれた言葉ではないということが、伝わってくる。
変わることを強制されるているということでもない。
でも、彼は、私のために問いかけてくれていると思った。
決して「変わってほしい」「変わったほうが良い」とは言わずに。
その問いかけの真意は、聞かないとわからないけれど、きっと聞いても意味がない。
私自身が、事実に向き合って考えなければ。
考えきって出した答えに沿って、私自身の行動を変えられた先に、希望があるかもしれない。
「変わる」ってある意味、それまでの自分を否定することだ。
無意識のうちに昔から染み付いているものだったり、何かのきっかけからこだわって行っているものだったりすると、それを変える痛みは大きい。
変えられないもどかしさの中で、自分が傷つきたくないが故に、自分の育ってきた環境や関わってきた人たちのせいにしたくなったりもする。
生い立ちや大切な人までを否定しなければならないような気持ちになって悲しくなることもある。
でも、そんなことないんだ!って。
自分の今を、過去を肯定するには、自分が変わるために努力することより他ない。
変われる自分であることが、今の自分を、過去の自分を、育ててくれた人たちを肯定することにつながる。
そこにこそ、開かれる、より良い世界があると信じて。
今までも同じような壁を何度か乗り越えてきた。
今回の壁は、乗り越えるというよりも、壊さないといけない壁だ。
しっかりと地中の奥深くまで打たれた杭も抜かなければならない。
変わりたい。
より良い未来を、仲間と共に作っていくために。
頼るだけでなく、頼られる存在になっていけるように。
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