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#レーダーチャート診断 で「読みたいことを書けばいい」と覚悟決めました

拝啓、池松様

先日はお忙しい中
「情報発信をどうすれば良いか悩んでる人向け」レーダーチャート診断
のために、私の拙いnoteをたくさん読んでくださってありがとうございました。

わたし、診断応募の際にこんな質問をさせていただきました。

「noteへ書くジャンルを絞るか悩んでいます。池松さんはどうしてらっしゃいますか?」

実はこの質問をしたくて診断に応募したといっても過言ではないくらい、この件について悩みまくっていたのです・・・。


そして、池松さんから質問への直接回答と頂いたこの【問い】に、大きく考えを動かされました。

素晴らしいなぁと思うのは
情報アウトプットへの努力を怠らないのが
文相から見えてくることです。
(中略)
努力は「なんのゴール目標」のためにするのか?
それが明確化されていなければ、その努力はどこへゆくのでしょう。


そこを、えらぶさん自身に「問うて」頂けると嬉しいです。

そもそも私はなぜnoteを書こうと思ったのだろう。

この問いを頂いて以来考えがなかなかまとまらず、お返事がすっかり遅くなって申し訳ありませんでした(ジャンピング土下座)




note以前も含めた自分の執筆遍歴を整理して見つめ直すこと数週間。
ようやく一つの答えが見えてきました。

私にとっての【書く】理由は

「私の読みたいことを書いてくれる人がいない。仕方ないから自分で書く」

でした。

以下は思考過程の整理メモです。

私の執筆遍歴1:エンジニアスキルポートフォリオとしての記事

私が最初に書こうかと悩んだのは
エンジニアとしてのスキルを証明できるような技術記事
でした。

昨今は職業問わず情報発信が重要と言われる世の中。
ですが、池松さんが下記の記事でこのように指摘されている通り

エンジニアの「オープンソース・カルチャー」(※協力しあえばより良い明日になる)が、文系にも波及してきたと言えるのかもしれません。

まさに私のいる業界は、今より軽く10年以上も前から「情報発信が重要だ」が定説でした。
(ちなみにエンジニア系大手情報発信サイトQiita開設は2011年らしいです)


ただ私自身は

・業界では少ない情報系学科出身ということもあり、アウトプットなしでも転職活動程度なら有利に進められる
・バズり度=仕事の実力、な業界の風潮への違和感

といった事情がありました。

なので、究極的に言えば「自分が仕事で食っていくため」の情報発信へのモチベーションが持てなかったんだと思います。


私の執筆遍歴2:ジャーナリズム的記事

一方で「自分の専門知識を生かした情報発信をしたい」欲求は確かにありました。


きっかけは2年前に自分の転職活動で情報収集をした時
「この業界のキャリアアドバイスの記事って、男性視点ばかりだな」と痛感したからです。

私の世代は

学校や就職で女性だからと排除されることはかなり減った。
だが、同じ「はたらく女性」の先輩がいない。
同じ女性視点を持つ先輩からのアドバイスがぜんぜん手に入らない。

という位置付けにあります。

だから、女性視点から見たときに思ったことを書くのは同じ道をゆく後輩のためになるだろう、と。
それが自分の専門知識を生かす記事を書こうという動機になりました。

そして、こういった類の記事を書くために改めてこの分野で女性を取り巻く立場を内省した時、過去自分に起きた出来事について

「あの時受けた私の扱いって、理不尽以外の何者でもなかったのでは???」

と、後からジワジワと憤りを覚えることも出てきました。

なので、そこからさらに発展して

この業界のマイノリティを取り巻く立場について赤裸々な告白noteを書いてみたり、

実際にデータ分析した結果を発表したり、


世のIT系ニュースで独自の切り込みを入れることにチャレンジしたり。


などなど、徐々に書く幅が広がっていきました。

私の執筆遍歴3:本業と関係ない雑多ジャンル

・・・と、ここまで書くと
「じゃあ、
ジャンル:副業IT系ライター(得意分野・マイノリティ問題)
として専門分野を絞ればよくね?」
ってなりそうなんですよね。

実際それで行くべきかどうか悩みました。でも、決めきれなかった。
だからこそこの診断への応募と、「書くジャンルを絞れません」との質問に至ったのだと思います。

なぜ決めきれなかったか?

実は、わたしは本業関係の発信をするTwitterアカウントより数年早く、オタク趣味用のアカウントを持っていました。

メインはワンピース関連ですが、別ジャンルでも気になったことがあれば呟くこともありました。

で、2018〜19年頃、世のオタク仲間のおねーさま方が
新作のコナン映画「ゼロの執行人」で「きゃー安室さ〜ん💕」と黄色い歓声を上げているご時世。
私は

「日本が世界初を達成することを目指した【はやぶさ】モデルの人工衛星を、アメリカの人工衛星設定にするとかマジふざけんな!!!!!!」

と劇中の設定にブチギレたりしてたんですね、はい。たぶん周りの女性達の大半には、私がブチギレた理由自体が伝わらない
オタクとは大抵めんどくさい生き物であるが、私は輪をかけてめんどくさい生き物である自覚はある。

で、そんな衝動を140字では抑えきれずに書き上げたnoteがこちら↓でした。

ほかにも、母の生まれ故郷である遠い離島へ旅をしてみたら、事実は小説より奇なりを地で行く出来事に遭遇しまして。
これは地域文化を伝承する的な意味で、記事にせにゃならんのでは・・・」という想いもあり、極めて個人的な出来事ながらnoteとして発表したりしました。

先述の本業のIT関係でのアウトプットでも、ボチボチ個別にお話をいただいたり、アウトプットすることの手応えを感じていました。

が、実はこういった「本業とは全く関係ない記事」でも相当手応えを感じていたんですね。

コナン映画と人工衛星の件は私以外伝わらない覚悟でTwitterに流してみたら、意外と「それな」って引用RTの反応をもらったり。
島の記事に至ってはnoteのお題に合わせて投稿したら優秀作の一つに選出されたり。

noteでのアウトプットを開始してから何らかの目に見える形で賞をもらったのは、本業と関係のないコレが一番最初でした。


そう思うと、「noteに書くジャンルを絞る」ことに躊躇を感じてしまったのです。

わたしが気になるのは、、、、
「1人・1放送局」の概念 で無理してまで、楽しく続けられるのか?
自分らしい情報アウトプットを続けられるのか?です。

池松さんの指摘に背筋がギクッとしました。明らかにわたし、書くジャンルを絞ることを「楽しくない」と思ってましたね・・・。

実は自分で記事を書きたいとは思わない

えらぶさんは、書くのは楽しいですか?

そして池松さんのメールには、こんな質問もありました。

多分私は「文字を書くのは得意」なんだと思います。
でも「書くのが楽しいか?」と聞かれると、実は「No」であることに気づきました。

書くのって、時間取られるし。
そんな時間があればスキルアップの勉強するか、興味のある分野の本を読んでたいし。
どうせ文字を書くならオタク垢のほうで小説を書いていたい。
本当のワタシって、そんなやつなんです。

それに「これは書きたい」と思った記事ほど「物議を醸しそうな内容」だったりするのです。

コナン映画の件は、熱狂的人気のある旬のアイドルの話題に水を差すような批判は自殺行為になりかねないってことを
長年のオタク歴からよくわかってましたし。(真面目に刀傷沙汰な事件とかありますから・・・)

IT業界の件は、マイノリティ問題にうるさい奴だと思われれば広そうで狭いこの業界のマジョリティから干されかねないですし。
仕事獲得のために情報発信しろと言われる業界で、仕事を無くすかもしれない可能性のあることを情報発信するなんて馬鹿じゃないのかと自分に対して思うこともあった。

正直どの記事も「公開設定」ボタンを押すのは怖かった。

自分じゃない誰かがこの件に関する話題を書いてくれればいいなーとずっと思ってました。
それを私はTwitterでシェアして「そうそうこれこれ〜」って言うだけなら、とても楽ちんですから。

・・・つまり私はこれらの記事を「自分が読みたかった」のであって、別に「自分で書きたかった」わけではなかったのだと気づきました。

わたしの本業はITのエンジニア。「文字を書くこと」には、わたしは興味がないのです。
ここが、ライターであれブロガーであれ「文字を書くことを仕事にしたい」と思って文字を書く人と、私との間にある、決定的な差なのだと。

読みたいことを、書けばいい?

と、ここまで思考を整理したとき。

本屋さんで一度タイトルを見かけながら、結局その時は棚に戻してしまったタイトルを思い出したのです。

実はこの本、ずいぶん前に一度本屋で手に取ってパラパラめくってみたんです。

でもてっきり
テクニックとかも何もなく書きたいことだけ書いていればいいよ
みたいな甘いことを言ってる本なのかと思い、棚に戻してしまいました。
「食べるだけで痩せる!」的な宣伝文句の、甘い言葉で心の弱い人からお金を搾り取る系の商品は一切信用しない主義なので。

ところが、池松さんのフィードバックを受けて、ふたたびこの本が気になり、本の評判を調べしてみたりした結果。

繰り返す。『読み書け』という本は、

「妥協して書くぐらいならROMってろ」

と言っている。

・・・え、甘えたアドバイスを言ってるのではなく、
むしろ【誰かが同じこと書いてるくらいならROMってろ】と、文字書きを生業とするすべての人を突き放す恐ろしい本だと???

このnoteを読んですぐ、Kindleで電子書籍版をポチってしまいました。大丈夫、中古屋には売りたくても売れない買い方です田中さん。

「わたしが言いたいことを書いている人がいない。
じゃあ、自分が書くしかない」

読み手として読みたいものを書くというのは、ここが出発点なのだ。
読み手でかまわないなら、読み手でいよう。

・・・この本を読み終えたとき、一度はこの本を手にとって書棚に戻したことを猛烈に後悔しました。
私が「書く」にあたって悩んでいたこと、そのすべての答えがこの本に詰まってるやんけ!!!!!!

池松さんのレーダーチャートを受けた意味は、私が一度スルーしてしまったこの本に再び巡り合わせるためだったのかもしれない。
そう思えるほど、この本の内容は今の私にとって的確なものでした。


あと本のラスト、まさか文章術の本でミステリのどんでん返しのような気分を味わうとは思わなかったです。確信犯かよこのおっさん!!!

・・・すいません、池松さんへのお返事のはずが、別のおじさんへの叫びになってしまった。誠に申し訳ない。

この本を読んだことで、自分は

「自分が読みたいことを誰も書いてない、仕方ないから書く、というスタンスでいよう」

「自分が読みたいことを誰かが書いてくれてるのなら、心置きなく筆を置いて、他の好きなことに時間を使おう」

「仕事のためと称して、誰かが書いているようなことを無理に自分のnoteでも書いたり、書きたい別ジャンルのことを書かない、というようなことはしないでおこう」

と【書くにあたっての覚悟】を決めることができました。


覚悟というと大層に聞こえますが、書くことの方向性自体に悩んでいた頃に比べて、むしろ肩の荷が降りたような清々しい気分です。

改めて池松さん。
このような気付きを得られるきっかけとなる良質な【問い】を与えてくださって、本当にありがとうございました。

最後まで読んで頂きありがとうございます! いただいたサポートは記事を書く際の資料となる書籍や、現地調査に使うお金に使わせて頂きますm(_ _)m