産前産後プランニングの伴走者
助産師ゆかりんです。


今回の自己紹介は、看護学校入学後からのお話しです。

看護学校は
自宅から車で二時間くらいの場所にありました。

無事に寮に入り、新生活がスタート。
親元を離れての初めての生活が寮だったわけですが
これが結構衝撃的な毎日でした。

まずは、寮の立地
寮は病棟の目の前で、病室から見える環境。
当時は冷房がなかったので、夏は窓を開けたら丸見えだし、会話も聞こえそう。
暖房は、病院の暖房配管と同じなのでどんなに寒くても待つ。
暖房がかかり始める合図は配管のカンカンカンカン
という謎の音で、これが目覚まし代わりになりました。

風呂は、全学年共用。芋洗い状態。
21時になると病院のボイラーが止まるのでお風呂なのに、ぬるま湯か水しか出ないという状況……。

部屋は、2人部屋か3人部屋です。
10畳程度の和室に、机と本棚が備え付けられた簡素な作り。各部屋に炊飯器と冷蔵庫はありました。
食事は出ないので、自分で食材買いだしして、食堂で作っていました。
もちろん、門限もあります。
この寮生活で、心身共にかなり鍛えられました! 

その懐かしの寮も、東日本大震災の被災や老築化で
今はもうありません。


看護学校の授業や実習は、思った以上にハードでした。

人の命を預かる仕事なので、当たり前ですね。
楽しいというより、時間に追われてやらなければいけないことをやるという
義務感でやっていました。
実習は、指導者さんとの関わりがとても苦手でした。
私は、積極性に欠けていたので、それが一因だと思います。
学生たるもの、受動的ではいけない、能動的であれ。
質問する前にまず、考えてきなさい。それでもわからなければ聞くこと。
朝の実習目標は、ナースステーションに響き渡るくらい大きくはっきりした声で言う。
実習始まった当時の私には、衝撃的でした。
でも、社会人として働く上では、基本的でとても大切なことを
教えてもらったと今は感じています。


実習先で患者さんと関わるのは好きだったので、それが実習に行く際の
心の支えでした。

後期高齢者の糖尿病患者さんを受け持った時のことです。
受け持ちの承諾を頂きましたが、他人行儀な感じで最初のうちは
あまりお話ししてもらえませんでした。

糖尿病の病態生理や行われる検査を勉強していたある日のことです。
目の検査につかせてもらう機会がありました。
突然、看護師に
「これの検査の意味はわかりますか」と聞かれて
メモ帳を必死に見ながら答えました。
「そう!よく勉強しているね」と褒めていただきました。
そして、翌日受け持ち患者さんに
「私、学生さんってどうなのかしらって思っていたんだけど、よく勉強してるのね!感心したわ!しっかり勉強しててメモもびっしり書いてるし。頑張ってちょうだいね!」というお言葉を頂きました。

いろんな患者さんとの出会いが、私を成長させてくれた看護学校時代です。

そして、私は助産師になろうと思います。
看護学校の実習で一番たのしかったのが
母性看護学だったからです。
「また来てね」「また会いましょう」と言えるのは
産婦人科だけ。
授乳や赤ちゃんのお世話をしているママは、大変だけれども
とっても輝いて見えました。
助産学校は、分娩件数を多くとれるところが良いと思ったのと
看護師である母親に相談して決めました。

そして、私立の助産学校を受験し、合格しました。
そこもまた全寮制ですが、夜間の分娩待機もあるので
寮という環境じゃなきゃいけないと思って入学しました。
※看護師免許を取得していないと、助産師免許の取得はできません。看護師になって何年か働いてから助産師の学校に進む人もいますし、看護学校(看護大学)卒業後に、大学院で助産師免許取得する人もいます。

看護学校で鍛えられたので、寮生活や学生生活は楽しいものでした。
実習に行き、記録に追われる日々でしたが、充実していました。

実習が始まると、夜間の分娩待機というものが始まります。
勿論、日中も実習はしているのですが、分娩をとるために
夜間の実習もあるのです。

これは
夜間に分娩になりそうな産婦さんがいて
学生が分娩介助することを承諾いただいた場合に
夜勤の助産師から「分娩介助の承諾いただいたので、病院にきてください」と電話をもらい、学生2~3人1組と助産師で分娩介助をさせてもらうものです。

この場合、毎日電話当番1名決めて、夜間に病院から電話が来た時に3コール以内に電話に出られるように待機。
電話を受けたら、待機している学生を叩き起こして5分以内に産婦人科病棟に到着するようにします。
待機している学生は、すぐに出発できるように実習服のままベッドに横になっていることが多いです。
そんな努力も実り、学生時代に分娩も多くとらせてもらいました。

分娩介助以外にも
不妊治療の見学、入院患者さんの支援(授乳介助やお風呂入れの指導)
1人の妊婦さんの妊娠期~産後3か月までを受け持たせていただいたりもします。
分娩介助では、2つの命を預かる責任の重さを感じました。

本当にあっという間の1年でした。
生きてきた中で、一番充実していた1年だった!
そして、無事に国家試験も同期全員合格しました!

就職先は
分娩件数が多かった実習先に就職が決まります。
一年間で1200人の赤ちゃんが生まれ、不妊治療も積極的に行っている
病院です。
またここから、修業が始まります。
























































































































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