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忘れえぬ夢

 いわゆる『ゲーム機』というものに初めて触れたのは、確か三歳になったばかりの頃だったかと思う。『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットを経て、ファミリーコンピュータが社会現象を巻き起こしていた、そんな時代だ。当時発売されたばかりのディスクシステムとともに、誕生日プレゼントとして買ってもらった。初プレイかどうかは定かでないが、ディスク版の『ゼルダの伝説』をわからないなりにプレイしたり、『メトロイド』があまりに難しいからと、お店でディスク版の『スーパーマリオブラザーズ』に書き換えてもらったり、頻繁に知恵熱を出しながら遊んでいたことなどを、今でも覚えている。

 その後諸々あって小学校低学年くらいから祖父母に預けられたりかぎっ子になったりして、一人遊びの――要はゲームをプレイする時間が、長くなっていった。ロックマンは3から初挑戦、ドラクエは4からでこちらはまだ難しくてクリアできず、後の『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』がRPGというジャンルにおける人生初クリアのソフトになった。
 またこの頃にはスーパーファミコンもお目見えしていて、最初に買ったのはやはりマリオとゼルダ、それと『まじかる タルるートくん』なんかも買ってもらった。以降RPGを中心に『ロマサガ』『FF』『ドラクエ』『聖剣伝説』などの有名どころを遊びつつ『ガイア幻想紀』『ライブアライブ』『サンサーラ・ナーガ2』などで色々衝撃を受けた記憶がある。

 だがしかし、その時代に最もよく遊んだハードは、と問われるとおそらくはゲームボーイなのではないか、と思っている。スーファミに性能で劣るモノクロ4階調のマシンの魅力、それはもう『テレビを独り占めしなくて済む』そして『どこにでも持ち運べる』、この二つに尽きるだろう。他の家族がテレビを見ていようがいまいが関係なく、電池の続く限り好きな場所で好きなだけ遊べる。小学生男子の欲望を満たすにはまさにうってつけだったわけだ。
『スーパーマリオランド』『テトリス』あたりから始まり、『星のカービィ』『おいらじゃじゃ丸 世界大冒険』『マスターカラテカ』など、ソフトもそう多くは用意できない中で、ひとつひとつをそれなりにやりこんでいった。インターネットもほぼ全く普及していない90年代の前半、『聖剣伝説』ではLv99以降も敵を倒し続けてレベルアップバグを見つけたり、『星のカービィ2』ではスコアを9999990点、いわゆるカウントストップの状態にまでもっていくと、以降得点が加算されるごとに1UPするのを見つけたりと、今になって考えればだいぶもったいない時間を費やしたなあなどと思うものの、それなりにいい思い出にはなっている。

 そうやって色々とプレイした中でも、特に印象に残り、何度も遊んだのが『ゼルダの伝説 夢をみる島』。ファミコンの第一作『ゼルダ』、スーパーファミコンの『神トラ』ときて、ゲームボーイでも『ゼルダ』が遊べる! と、当時のやけに陽気なCMを見てワクワクしたものだ。実際に手に入れた日には結構な時間ゲームに没頭し、レベル4のダンジョンまでをクリアしてレベル5に到達するまでやっていた、ような気がする。小学生の頭で必死に仕掛けを解きながら、ただただ、ひたすら。
 エンディングを見てからも『秘密の貝殻』や『ハートのかけら』を探して島中駆けずり回るのは、このゲームのお約束といったところではなかろうか。最終的には攻略本を買って、そのうち本に頼らなくても全アイテムをコンプリート出来るようになり、ではそれで終わりかといえば、もちろんそんなこともなく。オリジナルの『夢をみる島』を遊んだ方ならご存じかもしれないが、このゲームにはバグが多い。スクロールバグやらテールのほらあなの穴バグやらを何度も試して剣ナシで進んでみたりバグ世界で表示される上限を超えてハートを増やしてみたりその状態で店主に撃たれてみたりと、なかなか好き放題やってみたものである。その結果背景グラフィック(だと思う)が表示されなくなって画面の大部分が真っ白になったりとか。

 とまあ、ちょっと邪道な遊び方も挟みつつ数年後に『DX』が出た時にはそれも遊び、新たに追加された『服のダンジョン』のBGMが第一作『ゼルダ』のダンジョンのBGMのアレンジと知って軽く感動を覚えたり、3DSでバーチャルコンソールが配信された時にはやっぱり買い、さすがに今ではプレイしなくなってきたものの『ずっと手元にあってほしい一本』として、いつでも遊べる状態にはなっている。そして。

 ゲームボーイのモノクロ版から四半世紀以上を経てリメイクされたswitch版『夢をみる島』。これもまた、手にせずにはいられないものだった。ストーリーも仕掛けも、何なら石板(フクロウの石像)のヒントも、だいたい頭に入っている。それでもやっぱり遊びたい。そう思わせてくれるだけの魅力が、やっぱりこのゲームにはあった。映像、音楽、操作性からボタン配置、『今はやりのゲーム』の挙動までもが新しく生まれ変わりながら、それでもやはりその島は『コホリント』。新しい中にも懐かしさがつのり、それでいてこれまでとは違った感動をもたらしてくれる、新しい『夢』。

「キミはいつか、この島を思い出すだろう」――ゲームのとある地点で、プレイヤーに投げかけられる、この一連の言葉。『夢をみる島』に限らず、一本のゲームソフトがそれぞれのプレイヤーの記憶の片隅にユメのカケラをちりばめ、ふとそれが思い出されたとき、かつて同じユメを見た人たちが懐かしくも新たな形をした夢を、また作り上げていく。
 そんな夢の一端を見届け、感動を共にし、また自分の糧ともするために、私はこれからもいちプレイヤーでありつづけることと思う。たぶん、一生。

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