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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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#文章

貴方のスキマへと愛をこめて

そろそろ終わりにする時が来たようだ。  いや、いきなり? ってああ違うよ、この話じゃなくてさ。何で書いてるの、と聞かれたときに『書きたいから書いてる』なんて極論を持ち出して、現実から微妙に目を逸らすのもそろそろ、ってこと。  何故書いているのか。誰かにそう問われたとき、大抵の場合は『自己の存在を遺すために』と答えることにしている。しかしこの機会に改めて自問してみたとき、キーボードを弾く指がふつ、と止まってしまった。存在証明、それ自体に嘘はない。嘘はない……が、ではその大いなる

らしくいきましょ

 これは自分でもたいへん意外だったことなのだけれど……。  毎日更新、どういうわけか続いている。まだ十日とはいえ。  確か前回チャレンジを試みた時は四、五日で体調を崩してそのまま断念してしまったので、とりあえず続いているこの十日ちょっとは自分にとっては奇跡的とさえ言える。こんなに簡単に調子悪くなっちゃうんじゃあぜってえ無理だろうなとわりと心から思っていたのだ。それが、何故か、できてる。  ではそれはなんでかなあ、と考えたとき、記事作成に対する気の持ちようというか、やり方、心

言葉は伝わりにくいものだから

 ちょっとだけ損をしているなあ、と思う。『言葉』という表現方法を選んだことについて。  ノベリストであることがイヤだとか、後悔しているという話ではない。  ではどういうことかというと、絵や音楽の場合にはそれを見たり、聞いたりした『一瞬』である程度の良し悪しや、合う合わないが『直感的に』伝わるのに対して、小説などの『言葉』を用いて表現される芸術・作品、そこに内包された感性や主張は、『読む』という工程を経なければ伝わらない。難解なテーマ、技巧を凝らした表現などの場合はもう一歩踏み