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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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2024年1月の記事一覧

娯楽の沼から歩み出て

 まずはこちらをご覧いただこう。  よゐこのふたりのプレイングが楽しそうだったからという理由でヴァンパイアスルビボーズ、いやVampire Survivorsを購入したのが12月の話だ。ニンテンドーeショップで500円、追加コンテンツもひとつが150円程度でたいへんお安い。  ルールはシンプルで、基本的には30分生き残ればステージクリア(でもクリア判定が出たのち結局キャラクターは死ぬ)。画面狭しとわき出る敵をひたすら倒すか逃げるかしながら30分が経過するまで耐える、そんな

ありきたりな過去を語っても

 そんなに大したものは出ないぜ。『普通』よりは多少不幸だったかもしれないが、私の経験程度のものは周りを見渡せばそこそこ転がってる程度のもんだ。時間と環境、あとは緩い気合いで乗り越えられたものだから、それほど参考にもならないと思うしさ。ひどい病気や診断名も、とりあえずついたことはないし。  二十歳までに名字が三回変わったが、まあ数の多い少ないが変わるくらいで似たような経験をしてきた人は多くいることだろう。小学生だったり思春期真っただ中だったりの頃はその時々のレベルでツラかった

十年ひとむかし

『アナザーコード リコレクション』を買った。  ニンテンドーDSで発売された『2つの記憶』と、Wiiで発売されたシリーズ2作目『記憶の扉』とを1本にまとめ、リメイクした作品である。  DSでの第1作目発売当時のキャッチコピーは『さわれる推理小説』。深いストーリーと、発売されて間もなかったニンテンドーDSのハード特性を存分に活かした謎解きが用意され、たいへん良質の知的体験を提供してくれる、DS初期の名作であった。  しかしながら2作目は当時バーチャルコンソールとスマブラX

悩み無用のライティング

 さて。SNSやブログを使っているからには『何か』を発信する人には違いないわけだけど、たとえばフォロワーの方々や共同マガジンの参加者の方々みたいなお役立ち記事をポンポン出せるほどの知恵や見聞はそんなにない。じゃあせめてエッセイ的なものをと考えてみても、休日はほとんど日がな一日パソコンに向かうかゲームに向かうかしているので、盛り上がりとかヤマ場とかそういうものもそんなに多くは転がっていない。ゲームもまあ最近はプレイ時間をセーブしているところもあるし、PCで行うのはXのタイムライ

スピード勝負の取捨選択

 やりたいことが多い。しかし残念なことに、1日は24時間しかない。  ショートショートも書き溜めたければ勉強のために読書もしたいし、新作ゲームで遊びながらも現在進行形の『RPGツクール』を、できるだけ早く完成させたい。しかし残念なことに1日は24時間しかなく、さらにその大半は仕事と睡眠に充てられ、わずかな空き時間の中でこうして記事まで書いている。  どう考えても時間も体も足りてない中で、ある程度の優先順位や偏りがでてきてしまうのは仕方がない事だろう。早起きしての朝活も、春から

Re:マインド

 ここ最近流行りっぱなしの例のウイルスに罹患したのが去年(2023)の今頃の話だ。5類に移行するちょっと前だったので、一週間の自宅療養期間といくつかの薬とが得られた。幸い軽症で療養が終わる頃には元の生活に戻れていて、後遺症というほどのものもない。少々、咳が長引いたくらいだ。  では何の変化もなかったのか、といえば、そういうわけでもない。  最初は右手親指の『爪』だった。いつの間にかはわからないが、横にひとつふたつ筋だかシワだかみたいなものが入り、少しばかり変形していたのだ。

行き先未定のマイウェイ

 いつもは年末に買っているゲッターズ飯田さんの占い本を、今回のは年が明けてから購入した。購入が遅かった理由はシンプルで、数年分買ってみて『見ても見なくても一緒かなあ』と、思い始めていたから。そういうわけでしばらくのあいだ手に取らずいて、それでもやっぱり気にはなるので本屋でパラっとめくることわずか2ページ。そしたら。 『12年間で最高の運気の年』  中表紙にいきなりそんな一文が。うん、買う。  いい事は積極的に信じていった方が、日々をよりポジティブに過ごしやすくなると思わな

サラダと唐揚げ

『人との関りが薄いタイプですね』  たまたま市内に来ていた高島易断の占い師にそう告げられたのはまだ二十代だった頃、人生にもっとも迷い悩んでいた時だ。  少々肩を落としはしたものの、それならそれで『今、縁のある人とできるだけ長く付き合っていこう』と思うことにして、それからもう十数年が過ぎた。  その選択が別段、間違っていたという風には思わないし、今現在こうして生きているンだから大いに成功と評して問題ないはずだ。しかしながらこの十余年で『何が変わったか?』と自問したとき、結局の