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「おいしい」気持ちを軽んじない。

すぐに食べられそうなお惣菜とスナック菓子とチョコ、チーズとアイスとスイーツと。
ばかげて明るい蛍光灯に照らされて、今日もわたしはスーパーを徘徊している。売り場を行きつ戻りつしながら、品物を手に取り買いものかごに入れることをくり返す。どこか熱に浮かされたような心持ちでありながらも頭はきちんと冷静で、食べ物のジャンルが被らないよう慎重に選別しているところがなおさもしい。

無心で何かを食べているときは現実を忘れていられるから本当に楽だと思う。
ひとりで暮らす部屋のテーブルに食べ物がずらっと並んでいるときだけ、わたしは心やすらかな気持ちになれる。口ほどにもないお腹はわりとすぐ満たされるのに、食べ物に伸びる手はまるでなにかに憑かれたかのように止まらない。考えてはいけない、ということだけを頭の片隅でぼんやりと考えながら絶え間なくむさぼり、空いた片手では見なくてもいいようなSNSを徘徊している。ひどいときには日がな一日何かを食べ続けているので、休まるひまのない胃袋は常に重く、塩分のとりすぎで舌の端がぴりぴりと痛む。こんなことを、来る日も来る日も続けてしまう。気持ちが良いはずもない。

こんな日がたまにやってくるだけならいい。好物ばかりをわくわくと選び、週末のごほうびとして楽しく食べていられるのならば、なんの問題もないストレス発散法に過ぎないだろう。
しかし、それがほぼ毎日のこととなると話は別だ。ほほえましい食いしんぼうではなく、さもしく意地きたない食べ物依存。

これが初めてではないからこそ、うっすらとした危機感をおぼえている。
ひとり暮らしを始めたばかりの大学生の頃、夜中に菓子パンを二つずつ、毎日のように泣きながら食べていた時期があった。次々と口に押しこめて甘さで脳がしびれているときだけは何も考えなくてすんだがしかし、食べ終えるといつも自己嫌悪で死にたくなった。そんなことをくり返していたから、もちろん激太りして体重は過去最高の数値をたたき出したし、肌はいたいたしいほど荒れた。そのときにできたニキビ跡を治すため、たくさんのお金とおよそ3年の年月をかけた。それなのに、また同じことをくり返そうというのだろうか。

「ふわもちさん」という大好きなTwitterユーザーがいる。丁寧な調理と食事のようす、ときどきジャンクな食べ物の写真を、あたたかく優しい文章といっしょに日々載せていらっしゃる方だ。
その方のお題箱に、わたしとそっくりな過食ぎみの方が質問していたことがあった。

食べても食べても満たされない。夜中に沢山お菓子を食べて、肌荒れが酷くなり太って泣きそうになる。

彼女の回答はこうだった。

食べても満たされないのは、おなかじゃなくてこころが飢えているのでしょうね。どうか、自分を抱きしめてあげてね。

(https://twitter.com/fuwamochi_neco/status/1112289661395755009?s=21)

あまりにも優しくて涙がでた。
恋人や家族がそばにいるとき、わたしの過食は嘘のようにぴたりと止む。原因が明らかであるからこそ、適切な解決法を見つけさえすればやめられそうなものなのに、いまだ過食を超える手段を見つけられずにいる心の弱さが本当につらい。そういえば最近、たくさんたくさん食べているにもかかわらず、心から「おいしい」と感じたことがあっただろうか、とふと思った。

たとえ味が微妙であったとしても、好きな人といっしょに食べるものはいつだって最高においしいし、極度の緊張に追い込まれるとてきめんに食欲がなくなるし、自分でつくったごはんを食べるとほっとする。つくづく、食べることは心と体のバロメーターだなと思う。
カップ麺を持参していたけれど、やっぱり今日のお昼は大好きな定食屋さんにいこう。一気にリセットすることは難しいかもしれないけれど、まずはきっかけを作ってあげよう。おいしいものを、きちんと「おいしい」と感じながら、日々を過ごしていくために。

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