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約束のない関係を抱きしめる

大人になってからの友人関係はしずかな奇跡だと思う。

仕事のような利害関係は皆無。学生時代みたいに便宜的にだれかと一緒にいる必要もない。
にもかかわらず、会わない時間にも時折思い出し、連絡を交わし、貴重な余暇をぜひとも捧げたい、一緒に過ごしたいと思える相手がいること。お互いにそう感じていること。それってかなりすごくないですか。

わたしは交友関係が狭いので、一分もあれば交流のある友人の顔をのこらず思い浮かべることができる。その中のだれかと会うのも月に一度か、多くても二度だ。
でも、友人たちとの関係の深さは、会う頻度に比例しないと感じている。大学を卒業してからは特に。

飾らず気楽な自分でいられる。食べものの好みが合う。同じ言葉や物語に心を震わせることができる。一緒にいるだけで楽しい。うれしい。心地よい。
そんなにありがたいこと、果たして他にあるだろうかと思うのだった。



ドラマ「日曜の夜ぐらいは…」を見ていると、そんな友人たちの存在を思い出す。

車椅子の母親との生活を支えるためファミレスのアルバイトに励むサチ、祖母とともに田舎のちくわぶ工場に勤める若葉、そしてタクシー運転手として働く翔子。

メインキャストの三人は、主に人間関係において、それぞれ明るいとは言いがたい過去を持つ。
その経験から、ラジオ番組のバスツアーで出会ったあとも、サチは二人に「楽しいままの思い出にしておきたいから、連絡先の交換はしないでおこう」などと言ったりしてしまうのだった。

その後、紆余曲折を経て友人関係になった三人の様子は、まるで早回しで青春を取り戻していくかのようだ。
晴れやかで、疾走感があって、ちょっとイタくてかわいくて、見ていると友だちっていいなあとしみじみ思わせられる。

まっさらな学生同士ではなくて、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた彼女たちだからこそ良い。
「だれかと一緒にいる」ために友人をつくったのではなくて、「この人と一緒にいたい」から関係を持った。そのことが、画面の向こうの彼女たちからまぶしいくらいに伝わってくる。

5話くらいまでだったか、登場人物たちの過去や生きづらさが明らかになっていくところは、見ていてつらく感じる部分も多くて、だからこそみんなが出会ってくれたことが本当にうれしい。

普段、フィクションの作品にはハッピーエンドを求めないのだけども、今回ばかりはどうかこのまま何も起こらず、みんな幸せになってくれと願わずにはいられなかった。

わたし的ベストシーンは、彼女たちが仲良くなるきっかけをつくったみねくんが、仕事の飲み会を抜けて三人の元へ会いに行き、三人の顔を見た瞬間に泣いてしまうところ。
自分にとって居心地の良い場所を見つけたときの安堵、わかるよ〜。その人たちといるときの自分を好きでいられるのってすごく良い。

最終回で「サンデイズ」がオープンしたときにお店の外に広がっていた光景を見て、サチたちと一緒にしくしく泣いてしまった。
ほんまにつらいこといっぱいあったよね、みんなで幸せになろうね、と心の中で語りかけてしまう。「ケセラセラ」の多幸感いっぱいの旋律が、まるで始まりを祝福しているみたいだった。



ドラマを通しては、正直、演出の意図を汲みとりきれないところもいくつかあった。

ドラマのコピーが「恋愛なんか奇跡じゃない。友情こそが奇跡だ。」であることからもわかるように、わりと恋愛に懐疑的なスタンスで物語が進んでいくのに、ちょこちょこ恋愛未遂的な要素が入ってくるのがいちばん気になった。

そもそもこのコピーがドラマに合ってなくないか?とはずっと思っていて、だって誰も恋愛を奇跡とは信じていないし、過去に痛手を被ってもいないのだ。
それなのに友情の比較対象にしているのは違和感があり(一般論に準じているのはわかるけども)、一方を上げるために他方を下げるのはちょっとなあと思ってしまう。単に「友情は、奇跡だ。」とかで良かったんじゃなかろうか。

また、サチの「家族の形はさまざま」的なセリフの前後で、各人のクソ親たちを庇うような描写が出てくるのもえ〜〜っと思ってしまった。
特に若葉の母親なんて、ストーリー上はまったく擁護の余地がない極悪人なのに、なんでちょっと綺麗っぽい役どころで最後に出したんかな?間違って教えられた僻地にたどり着いたシーンで終わり、で良かったのにな。
若葉、あんた優しいねんから騙されたらあかんで……と思いながら見ていた。何も泣かなくてよろしい。

とまあ、時々思うところはあったけれども、総じて良いドラマだったなと思う。
何よりも主演三人の役者さんが素晴らしかった!



それこそ恋愛と比較するようだけれども、友情には形ある約束がない。

ずっと仲良くしようねと口約束を交わしたかつての友人たちの中で、今も交流がつづいている人はいない。
進学や就職を経た今、一時期どんなに親しくしていた相手でも、外部環境やライフステージの変化に応じていともたやすく離れてしまうことを知った。

だからこそ、尊いのだ。
いつでも手放せる状況にあってなお、友情を育むということは。

お互いの人生を持ち寄って話す。
時に弱音を吐き、時に不満をぶちまけて、でも心の底ではいつだって相手の人生を祝福し、応援している。

がんばっている友人を見て、わたしもやらなきゃと奮い立たせる。がんばれないと嘆く友人を見て、そんなときもあるよなあと少し気持ちが楽になる。
結局なんだっていい。大切な友人たちのことならなんでも聞きたいし、心身すこやかであってくれればそれでいいねんでと言いたい。

彼ら彼女らは、わたしにとって、ままならない人生を共にたたかう同志だ。
とても大切に思っている。ぜったい幸せになろうね。

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