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バターはかじるもの

国民の多くがそうだと信じたいのだが、“バターではなくマーガリン”がスタンダードな家庭で育った。
料理はまるきり母任せだったので、用途といえば朝食の食パンに塗るか、たまに行うお菓子作りくらい。そのことで不自由を感じたことは特になく、バター=マーガリンではないのだとはっきり自覚したのも、多分大学生になってからのことだった。

先日、生クリームへの愛を熱く語ったことからもわかるように、元来わたしは濃厚な食べものが大変好きである。
マーガリンもその例外ではなかったのだが、単体でもスイーツっぽい生クリームとは違ってあまりにも油脂感が強かったため、たっぷり付けることはあれど、そのまま食べてみようという発想に思いいたることはなかった。
いや、正確には何度か試したことはあったのだけれど、味の奥底に人工的なものを感じてしまい(なんともいえないプラスティックみというか)、はまることはなかったのである。

そんなわたしがバターの単体食いに開眼したのは、大学生の頃にアルバイトをしていたカフェでのことだった。
ここから先は、当時のアルバイト仲間が読んでいないことを願いつつ、意を決して打ち明けようと思う。

平日遅番のシフトに入ることの多かったわたしは、バイト中の空腹に悩まされることがしばしばあった。
授業が終わってからすぐバイトに向かうので何か食べる時間もないし、まかないにありつけるのは閉店後の午後10時ごろ。
差し入れのお菓子があるときはそれをこっそり食べることができたが、何もないときは本当につらかった。

ちなみにそのカフェの主力商品はパンケーキで、モーニングタイムには小さく角切りにしたバターを添えて提供することになっていた。
空腹に耐えかねたわたしは、あるときついに気づいてしまったのである。ドリンク場の冷蔵庫には、角切りバターが詰まったタッパーが入っているということに。

他のスタッフがホールにいることをよく確かめたのち、わたしはこっそりタッパーを取り出した。
そして、迷うひまもなく一つ取り出して口に放り込んだのである。飴玉を想像していただけるとよい。

口に含むと、こっくりと滋味深い脂の味がたちまち広がった。
ほんのりとした塩気が濃厚さをさらに引き立てていてたまらない。それはそれは実においしかった。
これが、わたしとバター単体食いとの邂逅である。

とはいえ、ご存じのとおりバターというのは高価なので、学生アルバイターのわたしにとってホイホイ買えるようなものではなかった。
バターとの蜜月がふたたび始まったのはつい最近、社会人二年目を目前に控えた今年の春のことである。

きっかけというほど大層なことは何もなかった。
スーパーの乳製品コーナーでふと目に付いたバター。いつも買うマーガリンの2倍の値がするそれをカゴに入れたのは、なんとなくだったとしか言いようがない。
帰宅後、よみがえったのは前述したアルバイト先での記憶。そして、敬愛する江國香織さんの小説『ウエハースの椅子』に登場するこんな描写だった。

レストランでの私の好物はバターだった。それはまるくくりぬかれ、波形の模様をつけられて、銀色の器にならんでいた。つめたくて、こっくりした味のするそれを、私はバターナイフでつきさしてそのまま食べた。いくつも。

もちろん、単体で食らう以外の選択肢はなかった。
10グラムごとに切れ目の入ったバターにティースプーンを差し込んで、まるでアイスクリームかのようにそのまま口元に運び、そっと端っこをかじってみた。

ああこれは、まごうことなき真実のバター!
口に含むと同時に駆けめぐる芳醇なうまみ。頭の芯をしびれさせるような濃厚きわまりない味わいと、次の一口をそそのかすかのように程よい塩っけ。即座にノックアウトされてしまったことは言うまでもない。

その日以降、冷蔵庫にストックがなくなる否や200グラムのものを買い求める生活がしばらく続いた。
わたしの恐ろしいところは、それがお菓子でもバターでも一度食べ始めたら止まらないということで、手製の「200グラムの角切りバター ~タッパー詰め~」を一気に半分ほどたいらげてしまったことすらある。くどいようだが、単体で、である。

バターというのは冷蔵庫から出したての固い状態が一番おいしいのであって、料理に用いた時点で、その唯一無二の良さが半減してしまうように思う。
オムレツやトーストにじゅわっとしみ込んだやつももちろんおいしいのだが、いかんせん繊細な舌を持ち合わせていないゆえ、マーガリンのときとそれほど差がないように感じてしまうのだ。

あの特有の食感というか、「今、ものすごく濃厚な固形物を食べています!」という実感こそが、わたしがバターを愛するゆえんなのかもしれない。固めに立てた生クリームが好きな理由もまたしかり。

ところでつい先日、お財布事情を鑑みて久々にマーガリンを買ったのだが、これがまあバターにも匹敵する見事な品だったのでご紹介したい。

その名も「バターのようなマーガリン」。
“バターのような”を謳ったマーガリンは山とあるし、その多くがバターとはかけ離れた代物であることはわかっていたが、かの雪印メグミルクの商品だしと購入に踏み切り、物は試しにと少しだけ単体でかじってみた。

するとまあ、かつてマーガリン単体食いで感じた人工的な要素がどこにもなく、ねっとりクリーミーなコク深い味わいで、非の打ち所が見当たらなかったのである。
強いてバターとの違いを挙げるなら若干やわらかいことくらいだが、そんなのまったく気にならないレベルで味が素晴らしい。

あんまりうれしくなったので、台所で小躍りしながらじゃがいもをふかして、1:1の比率で一緒に食べた。
脳天を突き刺す脂の恵みをダイレクトに感じられるのでおすすめです。

いつか、エシレのバターケーキをたらふく食らうことがわたしのささやかな夢だ。

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