22歳、仕事と恋愛
初めまして。普段TwitterやInstagramで日常を晒しているゆかし(22)と申します。
2020年は婚約したり、大学を卒業したり、会社に入ったり、仕事で病みかけたり、婚約破棄したり、怒涛すぎたので何か記録に残しておきたいと思って振り返ってみようと思います。
目次
・月別振り返り
・仕事編|3つの思い出
・恋愛編|3つの思い出
・終わりに
月別振り返り
さくっと振り返るとこんな感じです。
1月 アメリカで同居開始
2月 アメリカで同居
3月 アメリカで同居・婚約・大学卒業
4月 新卒入社
5月-7月 社会人生活
8月 病みかける
9月 病みかける×婚約破棄->病み
10月-12月 社会人生活
月別で振り返るとあまりにもボリューミーになってしまうので、印象的だった仕事と恋愛の出来事を中心に3つ思い出を振り返ってみようと思います。
本当にさらっと書くので詳しく聞きたい!と興味を持ってくださる方(いない)は気軽にSNSでコメントくださいね!!
仕事編
私は4月にとある外資系の企業に戦略コンサル職として入社しました。
UXデザインにずっと興味があったので、UXファーストの戦略を立てられる人間になりたいぞ!と意気込んで入社しました。
思い出①:自分の心配性と繊細さが価値になった
トップ入社をのぞき、大半の1年目はまず社内の事務業務や議事録や資料作成、リサーチや分析など、「誰がやっても良い業務」からやり始めます。
しかし、先輩は忙しく、いつもタスクを振ってくれるわけではないため、自分からタスク探しの冒険にいかなくてはなりません。
ここで私の心配性が異常稼働しました()
全身をバリアのように張り巡らせている繊細センサーが様々な情報をキャッチし、私の脳内に言ってきます。
「次の会議アジェンダはこれだから、もしかしたら付箋を使うかもしれない。申請しないといけないのでは?」
「このToDoの締め切りが4日後。でも確か○○さん出張に行くって言っていたから、もうリマインドした方が良いのでは?」
「そろそろこのタスクに先輩が着手し始める時期だから、ドラフトを作成してみても良いのでは?」
…
この繊細センサーのおかげで、いわゆる"雑務"をするにしても、何か1つ工夫することが自然に身につくようになり、ただの心配性の出来損ない私がいつの間にか、「ありがとう」「助かったよ」と言われるようになりました。
この工夫を例えるならば、誰かからもらったタスクを戻す際に、どんなプレゼントにしたら相手は喜ぶかを考えてその状況/人にあった包装紙でラッピングをしたり、タスクがなくて冒険に行く際は、小さくても確実に宝を探すことに集中する、などでしょうか…。
これって、褒められることなんだ…!そう思えたのは自信に繋がりました。
思い出②:やりたいことや課題観を発信し続けていたら何かが変わった
本業でも、業務外での活動も、「やりたいこと」「気になっていること」を発信することで、想像以上に様々な経験ができた/できていると思っています。
もちろんGive&Takeで成り立っている世の中なので、思い出①にあるように「雑務を宝探しに例えたりして全力で楽しんでやるスキル」と引き換えに、多くの社会人の先輩方がチャンスを与えてくれました。
ちなみに、「やりたいこと」は私の場合だと、「コンサルだけどデザインもやってみたい」「多様性のある中で働きたい」「toCも関わってみたい」などなど・・・。
社内にとどまらず、いろんな人に伝えていき、行動を起こすことで、少しずつ挑戦の機会が増えていきました。
5月くらいから種まきをして、ちょうど最近いろいろ芽が出てきたぞ、という感じです。
いつ踏まれてしまうか分からない小さな芽だからこそ不安はあるけれど、チャンスを頂いたからには全部素敵な果実に育てて、実りのある経験と価値へ変えていきたいです。
思い出③:合う人/合わない人いろいろいるなぁと分かった
最後に人間関係。
多様性と引き換えに、自分とは合わない人と仕事をする可能性も大いにあります。
その機会がたまたま1年目にあって、とても自己成長のきっかけになったし、自分の意志を持つ貴重な経験になりました。
具体的には、自分が働きやすいと思える環境やチームを考えたり、苦手なタイプの方と働く時はどうしたら双方が嫌な思いをしないでも済むのか試行錯誤したりする経験です。
これらは今後もずっと活きると思うので、ポジティブな経験に変えていきたいな。
恋愛編
3月に当時付き合っていた1つ年上の彼からのプロポーズを承諾し、ツイッターで6,000件くらい祝福のいいね♡をいただいたものの、9月に破棄を申し込まれお別れしました。
よくなんで別れたのか聞かれるのでそれを書きたいと思います。
思い出①:束縛に耐えられなかった
SNSで自由に発信したい、友達と会いたい私vs
SNSをしないでほしい、友達と会う時間あるなら電話してほしい元婚約相手
上記の構図でバトる日々でした。
友達がマジでいなくなりました。
思い出②:私にはタイプが合わなかった
サプライズ好き!プレゼント送るのが好き!という彼は2週間に1回、プレゼントをくれました。
とても素敵な人だと思いました。
他方、蓄積された「俺は優しい彼氏だ」感で息が詰まりそうになってしまいました。
そういうのが好きな女の子はもちろんいると思うんです。でも私はその「俺は良い彼氏だ」感に、私自身を見つめてもらえていない感じがしました(←贅沢ですね。でもとりあえず女の子はこうしたら喜ぶ、みたいなのをはっきり言ってたので押し付けられている感じがして嫌でした。贅沢ですけど。)
思い出③:生活習慣の違いがありすぎた
時差17時間なので、そもそも連絡できる時間も少ないです。
その上更に、彼は社会人経験が3年?くらいあって、自分の仕事のやり方が分かっている一方、私はとりあえず目の前のタスクに必死!!!な状態でした。
私の肉体体力・思考体力が社会人生活についていかなくて、仕事後、帰宅して玄関で寝てしまう生活も一時期はありました。
そんな中だと私の生活の優先順位は身体的休息>仕事>彼、一方彼は私を優先順位の一番上にしてくれていたので、せいぜい電話できたとしても、優先順位の話で口喧嘩になりがちで、ケンカしてたらいつの間にか朝になって、一睡もせず会社に行く、みたいな生活でした。
以上3点から生涯共に過ごすパートナーではないよなと思いましたし、
私が仕事で病んでる時に「そんなに悩むなら仕事辞めれば」と言われ、
そのまま婚約破棄をされました。
この時、仕事もまーじでできなくて日々ぼろぼろに泣いて病んでたので、さらにめっちゃ病みました。
一緒に住んでるときは分からなかったことが、遠距離になると顕著になると思いました。
当時めっちゃつらかったけど、今は友達も増えてきて、元気にしています。
終わりに
今年は辛いこともあったものの、今は乗り越えつつ、とても楽しく仕事をしています。
来年は今年よりも仕事、そして仕事外でいろいろやりたいぞー!
数年後の自分がこれを見た時に「22歳、よく頑張ってた」とか言ってくれてたら嬉しいです。皆さん、良いお年を。
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