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人生においての分岐点

私は今年32になるのだが、過去に死にかけた事が2回ある。

1回目は、3月11日に起きた東日本大震災
2回目は、割と最近。

よく人は死にかけると人生の価値観が変わる。と聞いた事がある。
ところが実際のところ、何の価値観も変わっていない。

2回目に死にかけたその1ヶ月程前に、日本において最強のパワースポットである富士山に登っていた。

登山が趣味ではない。
ただの好奇心と、パワースポットという言葉に惹かれ軽い気持ちで、高校時代の友人を誘ったところ、あっさりいいよ!と言われ、引くに引けなくなり登った。

富士山登頂前夜、私は弟と今の夫と、夜中2時近くまでお酒を飲んでいた。
そんな中迎えた山頂の日、頭がかち割れそうなくらい痛かった。
決して真似をしないで欲しいが、市販の鎮痛剤を飲み、水をがぶ飲みし、富士山の5号目に着くまでは死んだように寝ていた。

山頂でご来光を見れば運気爆上がり!!

なんて言葉を信じたその1ヶ月後に、わたしは突然の腹痛で救急車に居た。
人生において感じた事ない痛み。
歩くのもやっとで、目の前もクラクラする。冷や汗も止まらない。

前日に変なものを食べてしまったのだろうか。いや、しっかり火は通していたはず。
じゃあ何だろう、盲腸かな。

運ばれてる間もそんな考えが頭の中をぐるぐると巡った。

病院に着き、緊急外来で検査したところ、子宮外妊娠をしており、卵管が破裂していた。

ひどく動揺したのを今でも覚えてる。
朦朧とする意識の中、子供がお腹の中にいるとわかり、手術なんてしないと泣き喚き、暴れるたびに血圧が落ち、慌てて輸血されていた。

つわりも何もなく、気がつきもしなかったが、確実に成長しており、耐えられず卵管は破裂したのだろう。

今すぐに手術しないとショック死しちゃいますよ。だから手術しましょう

と医者と彼に諭されたが、頑なに拒んだ。

その当時は夫はパートナーという事で、肉親に連絡をしなければならず、それすらも拒んだ。

医者には罵詈雑言を吐き捨てて、点滴をぶち抜いて帰ろうと思った。体はいうことを聞かなかったが気持ちだけは大暴れしていた。

人間の身体というものは、素直にできていて、いよいよ出血量が多くなると、視界もぼやけてきて、聴覚のみが残る。

涙でぼやけてるのか、体調が悪くてぼやけているのか覚えていない。

1ヶ月前に富士山に二日酔いで登っていたのに、このザマで神も仏も存在しないのだなと思った。

突然芽生えた母性と、この先女としての尊厳が危ぶまれるのではないか、彼に捨てられてしまうのではないか、朦朧とした意識の中いろんなことを考えた。

体が辛くなり、生きたい。と、このまま死んだ方が良いのか。を交互に考え、渋々手術の同意書にサインをした。きっとわたしは、生きたかったのだろう。
余談だが、この日彼とは大喧嘩をしていた。というか私が一方的にキレていた。

そんな彼は今置かれた状況に動揺しているだろう。
私は性格が悪いので、そんな彼をみて、ざまぁみろ、反省しろ。と思っていた。

死にかけてるのに、とことん忙しく、暇のない困った感情だ。

そんなこんなで手術をし、無事生還した。
麻酔が醒めて、主治医に言われた第一声が

大変だったね。

だった。
おしっこの管を入れられ、挿管されている中、ICUでそう言われた。

突然芽生えた母性というのは、その存在が無くなっても残るもので、もう居ないのかと思うと、とても哀しく1人で泣いていた。

手足の自由も効かず、涙が頬を伝っても、拭けなかった。
それもまた情けなくて泣いた。

こうなるまで子供の存在なんて気がつきもしなかったのに、母性というものは本当にすごい。

そんなこんなで死にかけた体験を書いたが、死にかけて思う。

死にかけて、価値観というのは、変わらない。
ただ死にかけることによって、潜在意識にあったものが強く表に出るのだろう。

母性がなければわたしは1人で犬4匹も買わないだろう。
気が付かされることは多々ある。

それが私の場合母性だった。

よくこのような体験をすると、事情があって出て来れなかった赤ちゃんは、天国に忘れ物をとりに行ってるんだよ。
そう言われるらしい。わたしも看護師にそう言われた。

神や仏はいないことは、証明された。
いたらこんな事にはなっていない。

でも、優しくすがる事のできる話には今は甘えておこう。

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